2013年04月03日

みちのくに桜咲くを待つ心-短歌十首


みちのくに桜咲くを待つ心-短歌十首


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みちのくの桜はなおも咲かじかも雨しとと遠くに行けず我が待ちにけり
みちのくになお寒々と雨のふる桜は咲かじ待てる日々かな
我が町の夕べ曇りて飛び来る燕を見るも桜は咲かじ
仮設住む小高の人のあわれかな鹿島区の桜を待つやなお帰れじも
町に人消えても桜は忘れずに通りに咲きて待つもあわれも
我が老いて今年はいづこの桜見ゆべし限りある命日本の春かな
八沢浦磯桜かな海風のここに吹きにつ波光りよす
人は逝き人は帰らじ桜花大和の心ここにありしも
西行の花を惜しみて果てにけるまた生まれてそ花を見むかも
色濃くも京の桜の咲きてあれ雨にぬれつつあわれ深まる
大坂城花に酔いし時のあり今はみちのくに花咲くを待つ


桜の短歌はずいぶん書いてきた。日本の桜の名所は数限りなくある。近くでもそうだし福島県でも桜の名所は多い、未だ隠された桜も数多い。桜はどこでも咲いているからだ。今年の時間的感覚で不思議なのは結構寒く感じるのとなかなか桜が咲かないなと思うことである。時間がなかなか進まないという感じになっている。でもこの時間感覚が普通なのかもしれない、津波、原発事故から二年間は時間が過ぎるのが早かった。だから元のペ-スにもどってきたのかもしれない、時間が遅く感じるのは近くしか行けないしいつも近くで生活していると時間が長く感じられる。遠くに行くと時間は早く過ぎる。そういうことで時間の感覚は違ってくる。年とともにも時間の感覚は相当に違ってくる。
もう限りある命となってきている。そういう感覚は若いときはとはまるで違ったものなのである。
若者と老人の最大の相違はこの時間感覚なのである。


桜というのは桜前線だと二カ月間くらいは日本全国で咲く、ただ見れる桜は限られている。 桜で見事なのはやはり京都と大坂城かもしれない、そこが一番栄えた所だからである。だから思い出す桜がそこになる。でもそれも時間がたつと忘れてくる。ただ思い出す旅というものもあった。思い出すというとき心に深化して見るかからかえって趣深いものともなる。老人になるとあちゆるものを深化して意味深く見るようになるのだ。それもそうである限りある命を明確に意識して生きるようになるからだ。末期の眼で日々ものを見るようになるからだ。そこに老人の意義がある。若いときはそういうふうには見えない、何が本当に価値あるものかも見えない、熱い欲望にのみこまれてしまったいる。夢中の状態になっている。若いときは夢のように過ぎ去るのである。


ともかく桜が咲くのを待つのもいい、待つ時間も人生には必要である。待つ時間も貴重なのである。待ってこそ実りもある。人間はともかく急ぎすぎるのだ。事業でも早く成功して大金を得たいというか急ぎすぎるのが災いとなるのだ。文学でも早く成功しようとする。賞をもらって有名になろうとする。それはマスコミを通じて成される。だからマスコミを通じて有名になった人はまともな人はいない。原発事故で売り出した福島県の詩人もこの際に名を売り出したのだろう。そういう人もでてくるのである。

とにかく今年も動乱がつづいている。その中で桜が咲く。双葉の桜は街中の通りに咲いて有名だった。一回だけ見た。それほどのものでもないと思った。桜はどこでも咲いているし意外と注目されていない桜がいい場合もある。その人の見る眼がないとまた桜や美も発見されないのである。

会津の桜はほとんどわからない、山の奥にも咲いているからだ。そういうところには訪ねてゆくこともできない。


会津の松平容保公が詠まれた


山桜見て来ぬ人はおのがすむ 里のさかりも知らでやみなむ


けふぞしる里の桜の盛りをも 山路をわけてみるべかりける


山桜の美
http://www.musubu.jp/sakuranew-4.html


山桜など意外な所に咲いている。だから知り得ようがないということがある。会津だったらあれだけ山深いのだから知らない桜がどれだけ咲いているかわからないのである。


ここはまだ咲いていないけど桜の季節がまた巡ってきた。これは一年一年違って見えるのだ。それは人の心も回りの状況も変わってくるからである。それは時代によっても見る桜は違ってくる。
この辺は動乱であり人は各地に散らばり仮設住まいでありそういう中でまた二年過ぎて桜の時期を迎えたのである。


プログを書く意義は読んでもらうこともあるが自分の記録、日記としてもあとで役立つ、こんな動乱になると特にそうである。その時しか感じられないことがありそれで読み返してみみると不思議になった。つまり3月11日の5日前ほどに右田の松原をのことを書いていた。短歌や俳句にしていた。そのあと松原は消失したのだから短歌や俳句にすることはできなくなったのである。松原の風景は永遠に失われた。だから3月11日を境にして回りも激変してしまった。そういう心境を知るのにもプログは各自書く意義がある。

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