2013年03月21日

抽象画とは何か? (日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)


抽象画とは何か?

(日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)

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これもスケッチブックというソフトで遊んでいて偶然にできた。
抽象画も偶然の要素が大きくてもそこに何かしら人間の意図が入ってできている。
つまりこの抽象画が何ですかというときあなた自身のイメ-ジでみればいいともなるが
また作者の意図も見るべきである。

これを日本の地形としたのは日本の地形ほど複雑なものはない、体力のように平坦な地がどこまでもつづくということはない、狭いのだけど複雑に入り組んでいるのである。
それで今回の大津波でいかにちょっとした地形で津浪の影響が大きく違っていたかを書いた。
地形の相違で生死が別れたのである。一様な被害ではなかった。
地形を良くみれば津浪から逃れるヒントがでるということもあった。

ともかく前に小高い丘があるだけで津浪の被害は最小限に抑えられたとかあったのだ。
日本の地形は複雑だから狭い地域でも住んでいてもわからないし飽きないのである。

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これも偶然だがでもこの絵から何も感じないものもいるだろう。
これを見て自分は水の波紋を感じた。小さな石を落としても微妙に水はふるえて反応する。
これはまた別な見方もある。
ただ抽象画もやはり自然とか人間社会の反映である。抽象画もやはりそうした自然と社会をくみとることが必要なのである。

水というとき女性は水である。女性は神秘であり自分にはわからない、深く接したことがない、
ただ女性の体自体感受性に富んでいる。女性が体にふれられるだけで感じやすいのはそのためらしい。女性のことを最近インタ-ネットで調べて理論として知識をつけている。
ただこれは結婚したり深く女性に接しないと実感としてわかりにく。
ただ女性的なものは男性にも必要である。自分はどっちかというと女性的なのである。
女性的だということは感受性が豊であり芸術家向きだということもある。

抽象画も何か人間的に意味づけしてさらに意味をくみ取るべきなのである。

これは明かに新しい芸術であり自分自身パソコンから新発見したものである。
パソコンで新しい芸術分野が生まれたのである。抽象画なんか芸術ではないという人もいる。
でも芸術そのものが何なのかもわかりにくいのだ。
ピカソの絵だって最初は理解されなかったのである。
時代は常に変わっているから時代と共に生み出されるものがある。
そういう新しいものはなかなか価値づけられないのだ。

ただ抽象画もやはり人間の脳の創作活動の一端を示すもので創作活動だからこれだけ作りつづけているのだ。
もし自分でこれに創作的価値がないとしたらつづけられないだろう。
価値はまず自分が見いだすのである。それは知的なもの全般に言えるのだ。

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