最近増えてきた浪江の避難者
(南相馬市に原発避難者が移っている)
ス-パ-の前で昼間から咲け飲んでいる老人がいた。浪江の人だった。最近二本松辺りから移ってきたらしい。浪江の人たちだけが住んでいる仮設もできた。その隣に浪江の会社も移った。前から確かに浪江の人が鹿島区などにも空家を借りて住んでいた。そういう人に三人あったから前々からいたことはいた。また人が増えているのを感じた。今は彼岸で増えたということもある。その人ももう浪江に帰れないと言っていた。確かに家は五年もほっとくとぼろぼろになる。人が住まなくなると家の傷みが激しくなる。だからその人はすでに帰られないと決めている。そういう人が浪江では多いだろう。二本松とか会津では冷たくあしらわれたという。会津などは質素に暮らしているから補償金などで金使いが荒いから嫌われたとか言っているのは原発避難者はみんなそうなる。会津などもともと浜通りより産業などがないから貧しいだろう。貧しい雪国である。浜通りは火力発電所とか原発で金は入っていたのである。それなりに会社もある。今度は避難者になっても補償金の額が大きいからやはり金使いが荒く問題になっている。
二本松に会社が移って鹿島区から空家を借りて通っているという人はどうしたのだろう。会社社会になれば会社が移れば人も移る。農業でないから地元に執着する必要もない、そういう点で今は移動するのは楽である。江戸時代は簡単に移動できない、命懸けにもなる。金さえあれば広域社会なのだから移動は容易なのである。でも移住して住むとなるとやはりいろいろ問題が生じる。この辺ではまた複雑になる。小高の人は一応南相馬市であるが浪江は浪江町であり別である。すると税金も納めないことにもなる。浪江町民は浪江町という籍をぬけられないのだ。なぜなら補償金を国や東電からもらわなければならないからいつまでも浪江町民としてあらねばならない、これが結構問題を生む。いわき市でも双葉町などが仮の町をいわき市に作ろうとしたのはそのためである。それは現実的でないにしろ双葉町民であれ大熊町民であれ浪江町民であれそのレッテルをとることができないのである。
そうしたら生活すらできなくなる。でも他の市町村に移住したらそれでは困るとなる。それだけではないこういうふうに人が一時に移住すると移住された方でも困るということがある。福祉関係や医療関係でも人が増えても人がたりないということが深刻化する。いわき市ではすでに病院が満員だとか住居も避難民優先で入れないとか不満がでて車を傷つけることなどが起きている。
金をもっているから飲み屋で札びらをきるとかで非難もされる。それで隠れて仙台の方で金を使っているらしい。そこだと金を使ってもわからないからである。浪江町は二万人だからかなり多い、これだけの人が移住するとなると様々な軋轢が生まれる。今でも小高区の人と鹿島区の人が補償金問題でももめているからこれにまた浪江町の人が加わることになる。その人は請戸の人は罰があたったと言っていた。小さい船でも一艘二千万の補償金が入っていたとか船主は一億円もらっていたとか言っていた。だから相馬市の請戸の入院した人が特別室に入り家を建てるというのもそのためである。億の金は軽くあるのだ。事故後も補償金が入るからその額は大きい。でも相馬市でもそれがすんなり受け入れられるかとなるとそうはならない。
ただ空家を借りていた人が親戚を頼っていたとか親戚関係の人が浜通りに多いから二本松とか会津のようには嫌われないだろう。でも小高区の人と軋轢が生じたように生じる。現に鹿島区ではまた農家の人が作付けができないとか補償金の請求をする署名が回ってきた。小高区と浪江町は厚い補償があるが原町区や鹿島区はないとか相馬市は全然ないとかもめるのである。だからいくら相馬藩内でもすんなりと受け入れることにはならない、その人も80才だったけどやはり高齢者の移住がふえる。そういう人を世話するのは地元の人である。その地元でも
南相馬市では医者や看護師が流出している。
だから南相馬市立病院は半分しかやっていない、相馬市の病院もさらに混雑してくる。金を払っても人手がたりないのだからそれを補給してもらはないと困る。ただ老人だけではない、家族ごと移っているから若い人もいる。その人も家族ごと移っていて娘を待っていた。空家に移った人も相馬看護学校の生徒だった。そういう人はまたこの地域で働く。だからすべでがマイナス要因とはならない。
でマイナス要因の方が多いのである。なぜ原発避難者が嫌われるのかというと前にも書いたが金をもっているからその金で世話しろとなる。そこにお世話になりますという謙虚さがない、金さえ払えばいいじゃないかというのが現代の社会だったからである。でも金だけですべてが解決できないのがこの辺でありまた高齢化社会になる。
老人しかいなくなった村で無給でス-パ-を運営せざるをえなくなった。ス-パ-がつぶれて買い物もできなくなった村を放送していた。それで村の老人が無給で運営せざるをえなくなったのである。あれは高齢化する限界集落の行き着く果てかと見た。若い人も子供もいなくなり世話する人もいない、老人だけが取り残される。30分離れた場所で買い物するほかない村になった。すると残った老人でも無給で働かざるをえない、村を支えざるをえない、これはまさに高齢化社会の現実を見たしその解決策も見た。働き手がいなくなり残った老人で村を維持せざるをえなくなる。でもいつか子供もいないのだから村は消失してしまう。そういう限界集落が日本中にある。この辺では高齢者が移住するということは負担のみ増えるということなのだ。例え金があるといっても看護師も介護職も足りない、他に人手がたりないところが増えた。すると金があるからはサ-ビスは受けられないのである。ただ老人だけではない若い人も移住するから労働力は多少は補給される。でも老人が多いの
だからそれではたりないのである。
いづれにしろこの辺の混乱状態はさらにつづいている。家も二十軒以上新しく建った。アパ-トも二棟立つ、山の方に新しいホテルも建った。鹿島区はさらに人口が増えているのだ。だから一見いいように見えるがそこに小高区の人との軋轢が生じたように生じる。ただこうした混乱状態は長くつづくだろう。原発非難者の落ち着く先がどこになるのかということである。まあ、鹿島区などの地価は上がり空家の価値が高くなったろう。すると自分の家の価値も古いが高くなったかもしれない、もう売れないと思ったが前よりは家が古くても売れるということかある。空家を探している人が多い、需要が増えたからそうなる。