2006年05月03日

仙台の芽吹く並木道(本の買い方が変わった)

senddainamiki1.jpg

memekanji.jpg


新緑や新幹線は仙台へ

橋わたり城下に入り八重桜

広瀬川芽吹き飛びくるカモメかな

仙台の並木芽吹くや朝の風

たんぽぽや駅前の広場歩き食う


今日は長町から歩いた。ハンディバイクで行ったとき歩いてもたいして変わらなかった。途中パソコンの相談所という店がありウィルス診断とか駆除とかのサ−ビスをしているところがあった。なんでもハ−ドディスクをフォ−マットしただけではウィルスお汚染されたのは消えないという、ゼロクリア−とかなんとか完全消去しないとだめなそうだ。これまためんどうでありウィルスに一旦汚染されるとパソコンはいかにやっかいなものになるかわかる。だから4,500円もしてウィルスソフトを買っても一旦汚染したらもうだめなのだ。こういう店は歩かないとわからなかった。街中にある店は歩いてみないとわからない、自転車でもわからなかったからだ。仙台に行くなら長町に降りて歩くことをすすめる。歩いてもたしいた距離ではない、そこからだと必ず広瀬川に出るから電車で行く場合と全然違った雰囲気を味わうことができるのだ。

仙台のブックオフで100円の福祉関係、老人痴呆関係の本をまた4冊ほど買った。百円だから安い、前もここで買ったがやはり百円で福祉老人関係の本が安かった。中味はかなりいいものである。本はやはり選ばれたものだから内容があるものが多い。でも今私は本というものをどういうふうに買っているかといと本屋ではほとんど買わない、アマゾンで中古本を買っている。ここにはあらゆる本がある。本というのは実際は膨大な数がある。仙台の一番大きな本屋にある本もほんの一部にすぎないのだ。本は無限にあるのだ。本は何年か前のはほとんど店頭から消えている。その数が膨大だから本の種類も膨大なのである。そして今はほとんど500円以下の本しか買わない、アマゾンでは一円とか百円とか二百円であり送料たしても500円以下でなかなか手に入らない本を買える。だから本屋で新しい本を千円以上で買うのが馬鹿らしくなったのだ。本の値段は本当は500円である。高くなっているのはあまりにもコストがかかりすぎるからだ。だから本は買わないし売れないのである。私はかなり本を買った家は本でうまっている。もともと本好きである。本は一時間くらいでさ−と読めばその要点がすぐわかる。興味をもったものは特にそうである。最近は認知症とか介護関係の本を数十冊読んだ。ほとんどアマゾンの中古本で読んだ。500円以下だからついつい買ってしまうのである。情報はある量を集めないと本当のところがわからない、認知症とか老人問題はこれはかなり多角的な研究が必要であることがわかったからだ。これが今や私の一つの緊急の課題になってしまったから集め読んでいるのだ。

本というのは書店とか出版社とかは今インタ−ネット時代、変革期にきている。本一冊一冊という読み方もそれなりの知の摂取方法なのだがインタ−ネット時代は別な知の展開が必要になっている。本買うこと自体がインタ−ネットで関心をもったものをリンクして本も読んでいるからだ。インタ−ネットで調べてええ、こんな本あったのかという本が実に多いのである。それらは店頭にはもはやないのである。書店というのもいづれ消えてしまうだろう。書店の効用は立ち読みでありこんな本もでていたのかと気づくことである。でも高いから買わずアマゾンでその本の題名で検索して500円くらいだったら買うかなとなる。今までは2千円と3千円でも買っていたが今は買わない、認知症となると広く浅く広範囲な知識、情報が必要だから一冊ではたりない数十冊読む必要があるから高いと買いたくないのだ。一冊のなかで十数行だけが重要なものとして必要なものがある。すべてがそれぞれにとって必要とは限らないのだ。そういう読み方を本ではできないことが問題なのである。しかし考えてみるとこれからいい本がでないと中古本も安くていいものが手に入らないことになる。本はやはり電子化して知識は安価に供給する時代になるべきである。知識の摂取の仕方でも出方でもインタ−ネット時代は変わってしまったからである。


橋わたり城下に入り八重桜

広瀬川をわたると仙台の城下に入ったことになる。橋が自然の境界になりその自然に基づいて街もできたのである。その城下に入ったらほのぼのと八重桜が咲いていた。50人町とか百人町とか足軽町のあったところだったのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]