

牡丹の芽競いふくらむ七八輪
しとしとと雨のささやき庭に散る白椿見つ事もなきかも
認知症の患者と一緒にいると何か騒動がもちあがる。なにもなければ平穏な幸福な日なのである。しとしととささやくような雨が降っていればいい、ただ平穏な日が幸せになるのだ。今はほぼそういう状態にあるから楽である。
やはりデジカメでとると見えない物まで写っていた。牡丹には注意していたがその他の花も写っていたのである。人間はある一点の注意力には優れているがその回りのもの全部を記憶することはできない、ある一点をクロ−ズアップするように脳は働くがその他は看過される。
春は張るからきている。万物が張るからハルになった。春という字からこれだけの創造ができる。漢字は一つ一つが絵だからそこから創作がありえる。漢字は無限の芸術的な素材なのである。これはパソコンのソフトにより新しく創出されたア−トであり絵の具ではできないのである。これは絵ができなくても簡単にできるから取り組みやすい、ただいろいろ試して遊んでいると偶然にできる。才能ではなく偶然の産物なのである。才能というのもこうした道具がないと花開かない、artが技術の意味のように技術によって新しい芸術が花開くのである。