2013年03月07日

仙台市周辺の津浪被害の大きかったのはなぜ? (災害地名、津波被災地に「浜」「浮」- 宮城県多賀城市)

                           
仙台市周辺の津浪被害の大きかったのはなぜ?

(災害地名、津波被災地に「浜」「浮」- 宮城県多賀城市)
http://www.chunichi.co.jp/article/earthquake/
sonae/20130121/CK2013012102000078.html

別にこれが災害地名ということはない、思うに日本は災害列島であり地名自体の半分くらいが災害地名になってしまう。鹿島区の浮田などもそうなってしまう。浜などという地名はいくらでもある。
ただ多賀城市では末の松山の歌が貞観津浪から発していたというのは本当なのだろう。現実に今回も波は越さなかった。そこまで逃げて助かったという。ただなぜ宮城県の被害があれほど大きくなったのか?それは現代的なものがかなりあった。宅地造成が海の方に向かって急速に広がったことである。仙台市の周辺、郊外に住宅を求める人が増えたのである。山元町は仙台から遠いが仙台の通勤圏であり今回の津浪で駅まで流された。駅前に新興の住宅地があった。その辺に元プロ野球の選手の家もあった。仙台市の影響は福島県でも岩手県でも拡大している。東北の中心都市だからそうなる。


仙台空港が名取にあり電車で空港まで行くが名取まで仙台市のように見えた。家が仙台から密集しているからだ。名取や岩沼は仙台市の一部のように見えた。石巻まで行く仙石線でも野蒜辺りでも仙台の郊外の住宅地であった。元から住んでいる人たちではない、仙台市が拡大化して住宅が増えたのである。だから勤め先は仙台であり仕事は仙台だから失っていないという。石巻辺りでは水産関係で仕事自体を失った人たちが結構多いのとは違っていた。石巻と仙台周辺の相違は石巻はまだ地元志向土着的なところがあった。だからそこにはボランティアが商店街でもとぎれなく来ていたという。一方多賀城など仙台の周辺化した土地にはもともとそうした土着的志向がない土地でありイオンとかマガドナルドとかヤマダ電気など中央資本の建物が多かった。それらが津浪の被害を受けたけどボランティアは来ていなかった。多賀城では海が意識されなかった。家が密集しているから海も見えないしなぜあそこに末の松山があり波こさじなのか他からきた人はわかりにくくかった。でも砂押川をさかのぼって津浪が押し寄せ被害があったのである。海に近いところだった。多賀城からフェリ-乗り場に行ったことがある。海は確かに近かったのが意識されなかった。


仙台市周辺の津浪被害も大きかった。新興住宅地が海岸の方に広がったからだ。そこで学者が津浪の危険があると忠告したら不動産屋が脅してきたという。土地の値段が下がると心配したためである。ここにも常に利益優先社会の弊害があった。山側でも地盤が軟弱なとこがあり地盤が地震で崩れた。千葉県でも液状化現象が起きた。そこはもともと沼地だった。日本にはもともと沼地とか湿地帯の所が多かった。実にそういう地名が多いのはもともと湿地帯だったからである。海岸地帯は特にそうだった。日本が災害列島だというときそれは日本の地形がもともとそうだった。平地が限られていて住む場所も山とかであり平地が少ないから海側に開拓するようになった。仙台平野も開拓してあれだけ広い地域を水田にしてその米を江戸に運んだ。もともとは湿地帯であった。

そういう所が日本全国いたるところにある。海に囲まれて平地がないから当然そうなる。南相馬市鹿島区の八沢浦は明治になって開拓されたものであり井田川浦も大正になって開拓された。土地がないから海側に土地を求めて稲作地帯を人工的に作り出したのだ。それで塩害をふせぐために松原を作った。それは白砂松原の風景として人工的な日本の美を作りだした。それは自然の風景ではなかったのだ。日本という国はとにかく平地が少ない、だから人口を増やすためには絶えず江戸時代から新田開発をしてきた。農業中心の社会だから土地がなくては農業はできないからだ。それで満州に憧れたのはとてつもない土地があってそこで農業をしようとしたことにあった。あの寒冷地帯で米を作ったことでもわかる。土地がないことが戦争の原因にまでなっていたのだ。


今回の津浪被害ではいろいろなことが問われた。その大きな問題の一つが自然条件を無理して人工化したことによって津浪の被害が拡大した。もともとあった自然条件を無視したことが自然からの反撃にあった。縄文時代海だったところ万葉時代までこの辺では塩崎まで海だった。その範囲は非常に広いのだ。そこまで海だったことが津浪で再現したのである。だからそういうもともとあった自然条件を無視した開拓でも宅地造成でも自然からの反撃を受けた。ただ無理といえばそもそもがこれだけ巨大な文明化したこと自体、自然の法則に反するものであり無理だったとなる。エネルギ-でも石炭でたりない、石油でたりない、原子力だとなった。それ自体無理をしていた。無理をしなければ文明を維持できなくなっていた。東京のような一千万都市をどうして維持できるのか?東京の都市を見たら目眩を起こすだろう。そういう巨大都市が世界にいくつあるのか、それだけで空恐ろしいともなる。それらの人間を食べさせエネルギ-供給すること自体限界を感じるのだ。


今回の津浪原発事故で文明の崩壊現象のようなものが現れた。全然復興が進まないというときそれは一地域の力ではどうにもならない、文明的広域の崩壊現象が現れたためである。グロ-バル化社会でもギリシャの財政破綻が世界恐慌になるとか騒がれた。世界は経済でも一体化しているからギリシャの経済破綻でも世界的に影響する。そういう巨大文明の崩壊現象があり復興か容易ではないというのも本当だろう。

自給自足の社会だったらもともと何もないのだからその土地にあるもので生活していたのだから復興は容易なのである。海岸でも津浪の被害にあっても掘っ建て小屋のような家に住み港もなく地引き網のような漁業をしているなら復興も楽なのである。巨大なインフラを復興させる必要もないからだ。巨大化した文明は災害にかえって弱いのである。石油が配達されなくなり車も使えなくなる。電気もきれたら燃料もない、水道も使えなくなる。その時、山の清水や井戸の水を使い裏山の薪を燃料としてしのいだ人たちがいた。水を歩いて運んでいたのである。自給自足の昔の生活にもどったのである。こういうことは牡鹿半島などではできた。大都会では水道も電気も石油も運ばれなかったもうどうにもならなくなる。そういう恐怖が大都会にはあるのだ。石油コンビナ-トととか燃えるものがありそれらが火の海と化してゆくのを見た。東京辺りだとこれ以上の災禍が襲ってくる。もう手をつけられない、恐るべき崩壊現象が起きてくる。そしてそこから復興するのにはまた今回の津浪原発事故と同じ様に簡単には自給自足の社会のようにはできなくなるのだ。だから巨大化した文明はバベルの塔のように崩壊する恐怖がある。文明自体の崩壊である。最後に生き残るのは自給自足していた人たちであったという皮肉がうまれかねない、そういう恐るべき経験を今回の津浪原発事故でしたのでありそれは今もつづいているのだ。


 

posted by 老鶯 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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