2013年03月07日

春風(庭いじりは農業と同じ)


春風(庭いじりは農業と同じ)


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冬深む日々根を見つつ水をやる

東風吹いて川面さざなむ夕暮も
石による松一本や春の風
海よりそふわふわふわと春の風
病癒え体一杯に春の風

争わぬ石の二つや福寿草

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写真の紅葉の樹は毎日水やらないと乾く、土の範囲が狭いからだ。だから毎日根を見て水をやっている。自然とかかわることで自然と一体化する、庭も自然なのである。庭作りも実際は農業とにている。植物を育てる見守ることでは同じなのである。ただ花か実かの違いなのである。普通は根には注目しないが根も大事である。根があってこそ樹がありうる。こういうことは実際に自分で水をやらないと自覚できない、つまり農業は実際に土をいじったり種を植えたりそういうことを自らしないと実感としてわからない、この辺では農業に副業でも従事していた人が多い。その仕事を奪われたとき生きがいもなくなった。水田でも水の管理が大事でありそれで上流に水を引き入れるところに水神様の碑があった。それも今は無用のものとなっている。田舎では別に直接農業にかかわらなくても農業は身近かだったのである。ただ庭作りでもただ水をやるだけでも自然とかかわる。自然とかかわることは自然にと通じることなのである。

今日は夕方まで春の風が吹いた。なにかなまぬるい風だった。北風は吹かない、一日春の風だった。それでふわふわふわとなり遠くに出かけたくなる。飯館辺りはどうなってしまったのだろうかと思う。今はみんな仕事しないというのも変な光景である。毎日パチンコ通いで外から批判される。
ニ-トなんか喜んでいるけどかえって同類とみなされ今は批判される。全体がニ-トになり遊び人になったらどうなるのか?でも現代のこうした大災害は広域化システム化しているから地域だけの力ではどうにもならないというのも本当なのかもしれない、成す術がないということもある。
まあ、田畑がだめなら大内村のように花栽培とかにするのもいいのかも、ソ-ラ-パネルも土地が確保できないことが問題である。農地は勝手にできないから困るのだ。


ともかくこの辺はこれからどうしたらいいのかというとその解答がないのだ。原発事故はその処理でも専門家しか入れない、たずさわれない、するとまた一体原発の中はどうなっているのかもいつ収束するのかもわからない、つまりお手上げだというのもそうなのかもしれない、自給自足のような昔の生活だったらなんとか自力で回復していた。それが原発事故などはできない、専門家や東電や政府まかせで何もできないというのも本当である。このままいけば補償金だけを求め被害だけを主張する
沖縄とかと同じになるだろう。そうなると他から嫌われる、今も嫌われている。将来的には補償金が切られても今度は生活保護をくれとかなり自主的に復興はできない、社会が巨大システム化したから一地域の努力ではどうにもならないというのも言える。


ここで大きな一つのポイントが次代につなぐことができなくなることである。農業も代々してきたことに意味があった。この辺ではそういう農業も断たれて未来が受け継がれないことは深刻なものとなる。だから津浪でも原発事故でも若い人が流出することは深刻な問題なのである。

自分の家は争いがあまりにも長かったけど一人死んで終わった。やはり夫婦仲がいい家庭で育った女性は気立てがいいというかまともである。人間は家庭によって基本は作られる。ただすべてが家庭で決まらない、悪い家庭でも環境でもすべての人が曲がった人となるわけではない、金持ちの家のものがすべて良く育つかといったらそうでもないから必ずしも環境がすべてとはならないのだ。
いくら家庭が悪いとか環境が悪いとか言っても最後は自分の責任になる。重大な犯罪を犯してそれは育った環境が悪かったからだとか言えないのである。

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