2013年03月06日

高速通り仙台へ-(春の俳句十句) (フェルメ-ル展を見る)


高速通り仙台へ-(春の俳句十句)

(フェルメ-ル展を見る)


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広々と海に注ぎ入る春の河
広々と河口の光る春の朝
田起こしや仙台平野を一望に
復興や仙台平野に春の雲
通り行く少女の髪に春の風
ハイヒ-ル高く少女や春の街
大通り吹き抜けにけり春の風
春日さし鳩一列にフェルメ-ル展
喫茶店外国人や春の街
北へ行く新幹線や春の夕

一時や街灯ともる春の街

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仙台まで直通のバスで仙台へ行った。このバスは東部高速道路を行くので見える景色が違うようになった。鳥の海とか阿武隈川の河口が見えるのだ。それがまた違って気持ちがいい、同じ景色だとあきるのだ。東部高速道路は高いから見晴らしがいいのである。これで津浪がさえぎられたというのもわかる。かなり高いからである。もしこういう道路がもっと買い海岸線近くにあったら津浪をさえぎった。それだけ高いのである。これを作った時は津浪のことなど考えもしなかったろう。
仙台平野は本当にバスで行くと広いことを実感する。ここの米が江戸に船で送られたのである。

この広い稲作地帯が実は江戸と結ばれていた。江戸の庶民でもその腹を支えていたのである。
昔も田起こししていたらそれは江戸へ米を生産していたとなる。江戸時代でも江戸の食糧は遠くの人たちが作り支えていたのである。その食糧を供給する人を実際に見ることは労働を実感するからいい。実際はそうした労働を見ることを実感することもできないのが現代である。外国から食糧が入ってきてもそれを作る労働の現場を知り得ないのである。 宮城県は一番津浪の被害が大きかった。
一万人近く死んでいた。その復興はまだほとんど進んでいない。仙台の津浪の被害は今回は仙台の郊外の新住宅地に大きかった。山元町すら実際は仙台に通う人が多かった。仙台に勤める会社があって通っていたのである。だから仕事をなくしたわけではないというのは救われているのは本当なのだろう。三陸とか気仙沼とはまた事情が違っていた。


仙台市は東北では唯一街らしい街である。東北では仙台のように街らしい街はない、この辺では原町とか相馬市でも街らしい感覚はない、
人さえ通り歩いていない、仙台は若い人が大勢歩いている。
若い熱気が感じられるのは東北では仙台くらいかもしれない、あとは何か都会でもいなかじみているだろう。通りに春の風が吹いて少女の黒髪をなびかせたように何か若さを感じるのである。
喫茶店に外国人が日本人と英語でしゃべっていた。でもあの外国人はイタリア人なのだろう、カプチ-ノを飲んでいたからだ。ヨ-ロッパでは英語をしゃべる人は普通にいる。ただあの人はいかがわしい外国人かもしれない、今や外国人も普通にいるからいかがわしいのも多くなったのである。

ただ仙台辺りだと外国人と交流する機会は多くなる。田舎では英語教師くらいだろう。なかなか交流できないのだ。東北では仙台に住みたいという人は多い。ただ大きなマンションとか見るとあんなところにつめこまれるのは嫌だないつもみている。やはり一軒家の方がいいのだ。

住んでみるのと一時的によるのとはまるで違ったものとなるのだ。仙台あたでは住環境がいいとはならない。でも仙台のデハ-トの地下では食べものが豊富だからオカズには困らないだろう。ただ高いから金はかかる。一人暮らしは明かに都会の方が暮らしやすいのだ。原町とか相馬市だったら簡単に外食できるからいいのだ。

「孤独が一流の男を作る-川北義則」とかを書店で買った。何かお一人様とかそういうのが普通になる時代だというのは本当だろう。一人暮らしが膨大にふえてくるからだ。今は一人暮らしでも食事でも困らないようにできているのだ。ただ野菜不足になるから新鮮な野菜をとるように心がける必要はある。一人暮らしは特殊な変わり者ではなく普通の状態になってしまったのである。ただ老後は共同生活しというのはそうかもしれない、一人暮らしはいろいろと困る。そういうことを身をもって経験したから人ごとではない。高齢化というのはなぜ老後をいろいろ問題にされるのか、それだけ数が多いからである。そしてこれだけの人が長生きする時代を経験していないからである。過去は参考にならないからである。60代辺りでは男女とも健康な人が多いのだ。回りを見回すとそういう人がいくらでもいる。何をしていいのかわからないような一人暮らしの男女がいる。女性なんか60代でも若いから処置に困る。だから男を求める欲望の強い人もいる。枯れていないのが今の時代なのである。まだぎらぎらはした欲望に満ちているのだ。


ともかく仙台には最低一か月に一回は行く必要がある。ただ留守もいない、連絡もとれないから不安なのである。春になったからどうしてもでかけるようになる。自分は手術してから普通にもどっている。旅行だって前と同じくできる。体に支障がないのだ。もちろん病気ではあるが普通の人と同じく行動できるのだ。このことは自分にとって大きかった。前は身体障害者でありこのままどうなるのか不安でしょうがなかった。今はそういうことがない、自転車でも別に疲れるとしても前のように走れるのだ。体そのものがそんなに弱っていない、健康だから人に頼らなくても、一人暮らしは病気になったら最悪になる。人に頼ることは前に書いてように誰かいじわるな人の奴隷にされてしまう。そして病気だからさからえなくなるのだ。そうして脅されたから本当に恐いことだった。人間は弱みをもったらその弱みにつけこまれ非情なものであることを知った。そういうことで人間は恨み犯罪が生まれている。

老後で一番大事なのは健康なのである。健康をなくしたらすべてを失いかねない、例えば病気になったら高額なうまいものすら味がなくなりうまいとはならない、何でも食欲がそもそもないのだから食べたくないのである。性欲だってそもそも肉体が弱体化すればなくなる。人間の欲望は実はその体にあり体が弱ればもういくら金があり欲望の対象がいくらあっても何の意味もなくなる。
人間は実は外部のものを感じるのは美でもすでに内部で心で感じることがそなわっているからともいえる。もし心に備わっていないなら外部の美に反応することもいなだろう。それは食欲でも性欲でもあらゆる欲がそうである。内部で反応する力を失いば外部がいくら豊でも意味がなくなるのである。

仙台にいるのも今は束の間である。何か追われるように束の間の時間を過ごすだけである。ほとんどが買い物の時間である。でもその一時だからこそ街灯がともりそれがなんとも貴重な時間だともなる。一種の短い旅なのである。

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