2013年03月02日

会津の仮設に二年住む原発難民の心境は? (避難民に代わりて詠める短歌十首)

 

会津の仮設に二年住む原発難民の心境は?

(避難民に代わりて詠める短歌十首)

会津にそ住みて二年や雪かきに雪の難儀を身をもて知るかな
会津にそ二年住みて雪埋もる維新に果てし武士の墓かな
今日も見ゆ会津の城やなじみけり雪を踏みつつ二年の過ぎぬ
深々と会津に積もる雪なれや城も身近にともに過ごしぬ
東風(こち)吹きて会津に住みて故郷を想う人あれ海の恋しき
会津にそ飯豊の山も望みけり雪の厚くも溶けざるかな
峰々や会津の国の広しかな秋の星々澄みてきらめく
会津にそ住みて二年や川のあれその上想い秋深むかも
会津にそ住みて城見つ花のちる故郷遠く海は見えじも
尋ねえじ会津の奥の深しかもなお隠されて花の咲くかな
夏の日や川広々と風涼し瀬音ひびきて燕飛ぶかな

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会津には白河街道からも自転車で行ったし昭和村の方にも行った。舘岩村にも行った。ともかく会津は一つの山国であり広いのである。だから地理すらわかりにくいのだ。大きな川が流れているけどそれがどこから流れてくるのだろうと想うとき、阿賀野川は新潟まで流れているから実に大きな川である。でも地理的に栃木県の方から流れている感じが思い返すとした。この辺の川と違い大きすぎる川だからその川についてもとらえにくいのだ。鉄道も三つあり栃木県の方にゆく会津鉄道の方から流れてくる川かとも想った。栃木県だと平家落人の湯西川がありそんな方面も想いとして残る。

実際舘岩村から栃木県の方へ出て那須の野の方まで行ったことがあった。自転車の旅は鉄道とは違い記憶していることがある。それだんで月日がたてば忘れる。旅もまたいかに記憶するような旅をすることが大事なのである。時間がたつと忘れてしまう。団体の旅だとどこに行ったかもわからなくなる。自転車だって時間がたてばそうだった。ただ自転車は脳だけではない体で覚えているところがありそれであとで詩にもできたのである。旅で記憶に残る旅をしたいと思いば歩くか自転車でしないと記憶すら残らない。旅はその過程にあり苦労して峠を越えたとき峠のことが体に残って記憶されていて思い出すのである。頭だけでは記憶に残らなかったのである。ともかく何度も会津に行ったが本当に広いから方角すらわからなくなった。


不思議なのは浜通りから原発避難民が会津にも移り住んだ。そしてそこで雪かきしている姿がテレビに写される。そういう人たちは今どういう心境なのだろうかと思う。まず会津は山国であり雪国であるから海は見えない、海というとき猪苗代湖がその代わりになるだろう。でも猪苗代湖も山を越えないと見えない、海を常に見て暮らしている人とやつばかり見て作らしている人の感覚はかなり違ったものとなる。その感覚は住んでみなければわからない、雪もそうである。だから会津とか新潟とか山形など雪国の生活する感覚が浜通りなどでは理解しにくいのである。ただすでに今回移り住んで二年となると体で知ることになった。

会津も福島県なのだけど例えば明治維新の戦争で大きな被害があったが別に中通りとか浜通りはその被害について何か一体感がないのである。それだけ福島県は広すぎるのである。だから地理的一体感がもてないということがあった。会津で維新の戦争で死んだ会津藩の侍は名前すらつけられなかった。そういう墓を見るとき実際に移り住んで見るとき感じ方がより会津の人と一体となる感じ方になるのだ。でも福島県としてあるから会津のことを思う。浜通りには高い山がない、それがある意味で致命的であり高い山がないということは精神の形成にも影響する。山も精神を形成するのに不可欠なのである。山を見ていると独立自尊の思想が自ずと養われるのだ。


今回はやはり浜通りの人が移住したということで会津とのじかの交流があった。会津でも原発避難民は嫌われているが会津も福島県とういことで一応県外にでるよりはましだったのかと思う。県外になるとまた差別になった。原発避難民は集団だから差別されやすい、でも大熊町民双葉町民浪江町民というレッテルから離れられない、補償金がもらえなくなるからだ。補償金をもらうためにそのレッテルをもたざるをえない、もし少数だったら補償金が関係ないなら他の市町村民に今なら簡単になれる。江戸時代だったら藩から脱出することはできない、越中などから相馬藩が飢饉のとき移住した真宗系の人たちは大変な苦労をした。江戸時代は移動の自由がなかったからである。現代は移動の自由はあるが補償金のためにマイナスのイメ-ジしかない町民からめけられないのである。ある意味でユダヤ人化したともいえる。


自分はやはり自転車で旅したからその道のりを思いだして思索したり詩作したり短歌や俳句も作れる。そういう恵まれた時間があった。しかし
今や一日も旅することもできない、こも運命だったのか?
ともかくこの世は長い人生の間で何が起こるかつくづくわからない、


蒲生氏郷は享年40歳という若さで死んでしまう。


限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風


人間は突然思わぬことが起きる。事故で死んだりすることもある。自分も二回も入院したしそこで運が悪ければ死んでいたかもしれないという恐怖があった。今回の津波でも原発事故でも思いがけないことだった。会津に避難した人はこの歌を身近なものとして感じるだろう。もしかしたら避難民で高齢者が死んだ人がいるかもしれない、するとまさにこの歌が心にしみるとなるのだ。

 
 
 
 
 
posted by 老鶯 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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