2013年02月27日

津波の跡の松二本(詩) (二年過ぎようとする南相馬市に住む心境)

 

津波の跡の松二本(詩)

(二年過ぎようとする南相馬市に住む心境)


一瞬に家は津波に流され
未曾有の大雪に埋もれ
砂漠の砂に埋もれ
人の記憶は消えぬ
大いなる自然の力
人の奢りは打ち砕かれぬ
一世すぎまた一世
人の記憶はただ忘却の中にあり
皓々と寒月照らし
津波の跡に残る松二本
人のなおここに生きむとするや
仮設に盆栽の手入れ
冬の灯あわれ二年過ぎむ
昔の街道の細道
古き碑の傾き何語る
そも忘られんとするや
今年はなお寒々として
春はまだしも
相馬の城跡へ行くや
相馬藩の要にこそあれ
この危機にこそ要なれ
野馬追いに再興の願いかな


すでに津波原発事故から二年過ぎようとしている。でも復興はほとんど進んでいない、陸前高田市で残った一本の松に今回の津波は象徴されていた。この辺では何本か松は残っていた。陸前高田市では土地の個々人の権利が問題になっている。そういう権利を放棄しない限り新しい街作りはできないというのも本当である。この未曾有の災害は個々人の財産も吹っ飛んでしまったという恐怖だった。
着の身着のままで家も何もなくした人もいる。家族すらみんななくした人もいる。その衝撃があまりにも大きすぎたのである。津波の衝撃は大いなる自然の力を神の力を知らしめられたのだ。
科学文明が高度に発達して人間は奢っていた。原発でもそうだった。神の力を手に入れたとような錯覚に陥っていた。神は全能であり人間の力はそれには及ばない、そこで神の力が人間を砕くのである。それは世の終わりかと思ったほどの恐怖だった。

二年すぎてもこの辺は原発事故の混乱も治まっていない、ただ仮設でも何かなじんできたというのはある。でも仮設には生活感がない、わずかに盆栽を仕入れしている人がいて感じる。でもそれは趣味であり生活ではない、あとはただ補償金でのうのうと暮らしているとなり外から今や同情されていないのも変化である。南相馬市だと相馬藩内だしその最期の砦として相馬の城があった。相馬市は平常に機能していることは大きかった。そこから野馬追いも平年通りに行われるというときやはり野馬追いを通じて一体感がもてるということはある。


いづれにしろ人間の記憶は消されやすい、津波もまた人間の記憶を消してしまうという衝撃だった。残ったのは土台だけだった。災害がなくても人間の記憶は消えやすいのだ。だから津神社が津波を記念したものだったということさえわからなくなっていた。神社にはいわれのわからないのが結構ある。何か記念したものであっても理由があってもその理由もわからないのである。人間は一人一人が死んだ時点で急速に忘れ去られてゆく運命にある。60すぎたりしたら次から次と死んで行くからいちいち関心がもてない、有名人でもそうである。あの人死んだこの人死んだと次々と死んでゆくとそんなに人に関心がもてないのだ。そしてまた次々に若い人がでてくるからこれも何者なのかわからなくなる。だんだん年とると認知症的になるのだ。つまり強烈に記憶されたものは思い出すがあとは記憶すらされなくなるのだ。


今年は寒いから3月11日になっても東風が吹かないかもしれない、東風はやはり春を告げる風でありこういうふうに寒いと吹かないかもしれない、今年だったら飯館の方に東風が吹かず放射能が拡散しなかったかもしれない、北風だったら海の方に流れた。海沿いは放射能が低いのは海に流れたからである。飯館村は悲劇であり不運だった。恨みの東風だったのである。

 
posted by 老鶯 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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