2013年02月25日

丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害 (田舎の人間も今や素朴ではない、都会と同じ)


丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害

(田舎の人間も今や素朴ではない、都会と同じ)

 インターネットの結婚紹介サイトで知り合った埼玉県行田市の男性を殺害し現金などを奪ったとして、埼玉、宮城両県警は21日、強盗殺人の疑いで、宮城県丸森町町東、無職伊藤早苗(42)=詐欺容疑などで逮捕=、仙台市太白区袋原6丁目、会社員菊地広光(48)=同=の両容疑者を再逮捕した。


 逮捕容疑は共謀して昨年11月3日夜、行田市持田4丁目の電気設備業白田実さん=当時(67)=方で、白田さんの首を包丁で切るなどして失血死させ、現金約3万2千円や指輪などを奪った疑い。2人とも容疑を認めているという。
 埼玉県警によると、伊藤容疑者は白田さんから1千万円以上の借金があり、貴金属の購入や生活費に充てていた。伊藤容疑者は「借金の返済に困ってやった」と話している。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130222t73024.htm


犯罪は明かに時代を写す鏡なのだ。犯罪から時代が見えてくる。もちろん怨恨など人間社会には男女関係のいざこざがあり変わらないものが多々ある。ただその時代を反映するものとして犯罪がある。
この犯罪に興味をもったのは丸森というと極めて近いのである。自転車でも相馬市から行ったことがあるし一時金山城がありあそこは相馬藩であり伊達藩と争う場所でありその城主も交代していた。

その金山城の麓に住んでいる人とと病院で隣り合った。相馬市の病院には丸森からも結構きている。丸森はそれだけ相馬市に今でも近いのである。そこで方言を一回だけしゃっべった。んだべっちゃ・・としゃべった。普通は仙台などでは宮城県ではべっちゃなのである。んだというのは相馬弁である。だからんだべっちゃは仙台弁と相馬弁が一緒になったものなのだ。それが地域性を反映して面白かった。方言はやはり郷土史の大きなテ-マになる。でも今は子供すら標準語をしゃべり方言をしゃべらなくなった。きれいな標準語をしゃべるようになったのである。そうすると地域性がなくなるから面白くなくなる。方言も一つの文化なのだろう。そういう地域的なものがなくなることは文化の喪失なのである。この事件はまず地域的なものとして興味をもった。


もう一つインタ-ネットの出会いのサイトで知り合ったということである。これも時代を反映している。インタ-ネットは遠くの人と出会える。でもそこに問題が生まれる。近所の人はこの女性がどういう人なのか子供のころから知っている。普通の女性とは違っていた。高校を中退して盗みを平気でして反省もなかった。異常性があった女性だった。そういうことを近くなら知ることができる。
インタ-ネットはそれができないから盲点になる。そして見た感じはそんな人には見えない、すると

68才となると42才では若いから惹かれることになる。そしてここにもう一つ現代を反映する問題があった。高齢化社会である。この人はすでに68才で二人の妻をなくしている。それで寂しいからまた結婚したいとなってインタ-ネットサイトを利用した。見た目はいい感じなのでひかれた。68才くらいになると若いということは価値が大きいのである。老人はどんなことしたって若さをとりもどすことはできないし若い時代に帰ることはできない、青春はもう永遠に帰ってこないのである。だから相手は40才でも青春が帰ってくるような錯覚に陥ってくるのだ。だから若さを若い女性をどうしても手に入れたいとなるとなんてもするということがある。でも悲しいかな老人には自らひきつける若さがないから金でひきつけようとする。一千万も貸したということでわかる。でもその一千万が徒(あだ)となた殺された。女性は金しかなかったが男性にも若い女性を求める欲望があり事件となった。これもまた高齢化を象徴している事件なのである。こういうことは昔もあったにしろ現代はその数が多いから事件もふえる。


会津で横倉明彦容疑者は遠藤信広さん・幸代さん夫妻強盗殺人事件が会津美里町で起きたがこの事件は外部から来た人が犯罪を起こした。田舎に住んでいる人ではない外部から入ってきた人が犯罪を起こした。逆に今度は田舎の丸森に住む人がインタ-ネットを通じて外部の人への犯罪となった。外部からの人が田舎に入るとき危険だということは言われる。しかし今はそれ以上に田舎の人も都会の人とさほど変わらないということがあるのだ。田舎は子供まで標準語をしゃべるように都会化しているのだ。この問題がやはり金から起きているように田舎でも金がものいう社会になったときどこでも金から問題が起きてくる。それは田舎も都会も関係なく共通しているのだ。そもそも女性を金で引きつけようとしたこと自体誤りなのだろう。それが命取りになった。

金ほどまた恐いものはない、別に悪気がなくても金もっているだけで犯罪にあうことがあるから恐い。それは自分も経験したから金は恐いなとつくづく思った。ともかく犯罪にあったものが犯罪に興味をもつ、どうしてそんなことするのだろう、そんな酷いことができるものだとか思う。会津の事件でもそうだしこの事件でも相手を殺しているからそこまでやるのかやれるのかと思う。二三万でも殺された人もいるから恐いとなる。

田舎に対するイメ-ジは素朴だとか思っているが今では全然違っている。もちろんこの女性は若いときから異常な行動をしていた。だから特
殊だということもある。でもそういう人が田舎からも普通にでてくる社会なのである。丸森は仙台とは違い相当な田舎なのである。ただ仙台市の人とかかわっていた。丸森と仙台は密接につながっているからわかる。


また借金というのも恐い、借金している人はそれが理不尽でもかえって返せと要求して殺害されたりすることがよくある。借金の問題で事件が常に起きている。借金も恐いものなのに今は気軽に借金しすぎるのである。借金はたいがい見栄からであり分不相応な生活の結果であり今では同情できないのが多いのだ。でも闇金融だとその人を見ないで貸すから悪いのである。そういうシステムがあること自体また犯罪を増やしているのだ。なぜそうした犯罪を誘発するものが許されているのかも疑問である。ところが闇金とかサラ金とかは出資していたのはもともと銀行であった。銀行がそうして闇のものに力を貸してもうけていたのだ。そういう世の中のカラクリがある。銀行にもブラック企業的なものがあるのだ。それは大きな組織、会社にもある。カルト宗教団体にもある。それはまさに大きな闇であり見えないし明るみに出されないのがこの世なのである。金があってもまず人は買えない、人の心は買えないし何でも買えない、家で手伝ってもらいたいからといってもその人が買えない、モノは買えても人は簡単に買えない、金は万能ではない、そこに殺された老人の誤算があった。

今はあらゆる面で田舎と都会の差はない、人間そのものもそうだし生活でもそうである。田舎でも都会と同じ様な生活をしているのだ。医療などのぞいてはそうである。田舎でも東京と同じ贅沢が金があればできる。しかし金ですべては買えない、かえって原発避難民の問題は金があってこそ起きている。補償金をもらえない宮城県の津波被害者は仮設でも協力しているがここでは補償金もらっている人ともらわない人で離反していて一体感はないのである。その現金は補償金であり金の問題だったのである。

posted by 老鶯 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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