
新しき花また見むやつばめ来る
swallows come
I will look at
new fresh flowers again
鳥の音の峰にひびくや朝桜
朝清し竹にそよげる春の風
大いなる岩に小さきスミレかな
老木の梅の香りぬ重ねたる歳の長さや一村古りぬ
今日は風もさほどなく雲もなく最高にいい日だった。近くを自転車で一周した。最近は早く帰らないとまずいので朝早くでている。それで朝の気分を味わったのである。朝早いことはいいことなのだ。ただ自分の場合、寝るのが12時過ぎなので朝が苦手なのである。今は夜型だから朝ぼんやりしている人が多いかもしれない、ただ食事の用意のために7時半頃起きている、なんだ7時半というが今までは8時だったのである。人間は朝は30分でも無理して起きるべきだった。自分はあまりにもなまけすぎた、これは意外と頭に良くないものだった。なぜなら定年後に会社にゆく緊張感とかがなくなり生活に張りがなくなりボケる人が多くなっている。グ−タラボケというのがあるというのは本当だと思う。なんらか人間には緊張感が必要なのである。自分の一生は無職の一生だからこうした緊張感に欠けていた。人間は金をもらわなくても仕事が全体に必要なのである。金にならないものは仕事ととして認めないこと自体おかしいのだ。だから仕事は金をもらってもかなりゆがんだものとしてある。つまらない社会にたいして役立たないものでも金になればそれが有効なものだとされるのである。資本主義社会は金にならないものは無益なものとされるのだ。出版なんかもそうである。これは元手がかかるから売れる見込みのないものは出さないし出版社も常に売れることを目的にして出すのである。そこから除外されたものは出せないのである。でも人間は誰でも何かを伝えたいものをもっているのだ。それは一文にならなくても見てもらいたい読んでもらいたいというものがありこうして無料でホ−ムペ−ジやプログで出しているのである。
神の義と国を求めよ・・・というときまず金になるかならないかではなく天職としての仕事を求めよ、仕事をしろということがある。その天職の仕事をしてれば自ずと金も与えられるということがある。それが理想でありコマシャ−リズムの出版関係はまず大衆に受けるものとか売れるものを出そうとする。そこで有名人が作り出されてきたのである。それらは出版社により売るために作られたのである。人間の天職は実際これは何なのかわかりにくい、自分自身だってわからないし若いときにそれがわかるということもなかなかない、オレの天職はこれだというものを見つけるのは大変である。それはもしかしたら一生かかるものかもしれん、天職とはもしかしたら自分で発見するものではなく与えられるものかもしれない、自分に災難としてふりかかった認知症の問題はこれは学問的にも広範囲なものがありこの対処方法は別に医者でなくてもやれることがあるので興味をもった。理系でなくてもやれる分野がかなりあることに気づいたのである。ガンとか他の様々な病気は体自体の問題だから理系ではない文系はかかわりにくい、しかしこの認知症は今ままで書いてきたように回想法とか「認知症 歴史 絵画療法」とかのキ-ワ-ドできている人がいるように歴史の勉強とか芸術の分野とも関係していたから自分も興味をもったのである。医学に歴史とか芸術は関係ないと思っていたからだ。しかし認知症の問題には実に広範囲な分野の知識とか経験とかが必要なことがわかり興味を持ったのである。