2013年02月02日

原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?) (支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)


原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?)

(支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)

●いわき市で起きている原発避難民の差別はどこでも起きている


「誰も望んでいない被災者同士、市民同士の摩擦が広がっている。
地元の津波被災者より原発避難者ばかり優遇されるなんて・・・」
http://kasakoblog.exblog.jp/18069956/


いわき市にも津浪の被災者がいてその人たちには援助がない、原発避難者には援助があり津浪の被害者は忘れられている。確かに原発避難者の方が数が多すぎるから津浪の被災者は目立たなくなっている。でも実際津浪の被災者も援助がないとすると深刻である。そこで原発の被災者に対して不満をぶつける対立してくる。これは相馬市でも起こった。トマト栽培の農家に飯館村の人が就職しようとしたら断られた。津浪の被災者を優先して雇うためだという。理由は相馬市では松川浦や磯部で大きな津浪の被害がありその被災者は原発避難者のように補償金をもらっていないからだ。他でも相馬市の人は原発被害地のように補償金を全くもちっていないから不満なのである。それで買い物を見ていて贅沢しているとか不満を言う人がいる。

それはやはり生活に余裕がない人たちはそういうことを言いやすいのである。生活に余裕があればそんなこと言わないのである。どこでも底辺層がいるしそういう人たちは特別買い物まで見ているのが田舎なのである。あいつはいいものを高いもの買っているなと見ているから田舎はなかなか目立った行動ができないのである。金持ちは住みにくいのが田舎である。どうしても平均的に生きることが要求されているのだ。本当に津浪の被災者は原発避難者のように援助がないから仕事をするにも大変な苦労している人が宮城県や岩手県などでもいる。その人たちから見れば原発避難者はうらやましいとなるのもわかるのだ。切羽詰まったところに追い込まれている人も多いからだ。ただ浜通りは津浪の被災者と原発避難者が混在しているからややこしくなっているのだ。津浪の被災者となり原発避難者となっている人もいる。相馬市は原発避難者を受け入れて補償金がもらえないからいわき市とにているのだ。


●原発避難者の不安



原発避難者は何かと批判を受けています。何か大きい買い物しようと思っても、贅沢してるんだとか言われて世間の目が怖いです。 主人の車が17年目を迎え、そろそろ買い替えてもいいかなと思いつつも原発避難者は新車に乗り替えてると批判を目にします。
確かに精神的賠償は貰っていますが、主人は働いていて休業補償は貰っていません。パチンコもしてません。外食ばかりもしてません。
中学生の娘は美容室で『避難民は遊んで暮らしていけるんだってね、絆なんてもういらないわよね〜』という会話を直に聞き悲しいと言ってました。原発避難者は大人だけではありません。子供達が聞いて傷つくこともあると知ってもらえたら…と思います


二重生活と言いますが、家賃は無料ですよね。
月一人10万もらい、さらに、一人100万貰ったはずです。
医療費無料、高速無料、義援金も津波被害と同額もらい、次は600万一人貰うでしょう。
んー、
多分今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
その恩恵も忘れて原発に文句ばかり言ってるから叩かれると思います、特に津波被害は義援金そこ付きひさんですよ。
義援金原発避難者に回さず津波被害に回すべきの気持ちが県民に多くありますので、原発避難者にきつい目でみると思います。
ま、一番は今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
これが、いわき市市民の声です。


原発反対者はおそらく福島県民に対しては同情的です。

しかし、福島県民をたたかれているのを見て喜ぶ連中もいます。
それはこの国の支配層です。
貧しい者がたたきあうように仕向けるのは、江戸時代から続く我が国の歴史的伝統です。
おわかりですね。福島県民を悪者のように風評している大元は誰でもない、この国の支配層なのです。
あとは、そうとはばれずに、忍びやかに福島県民を貶めていけば、勝手に国民同士いがみ合っていってくれるだけです。
貧しい者から奪い続ける者は安泰というわけです。
その手を使えば福島県民の損害賠償も低く抑えることも可能ですね。


知恵袋にもそういう工作をする人がいるんじゃないですかね。証拠はないですが。

私は大多数の日本国民は福島の人の側(がわ)にいるべきだと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1285771587

 


福島県民でも原発避難者でもそれだけ被害を受けたのだから補償金をもらってはじるべきでないという意見は普通にある。応援している人も
全国にいる。これは一方で支配層の策略ではないかと前に書いたが何かそういうふうにしむけられているのではないかという疑念が生じた。
なぜ福島県民や原発避難者に非難の矛先が向けられるようになってしまったのか?
それは支配層によって政府や東電や官僚やらによってしむけられたのではないかという疑念である
例え補償金が多額になってももし他の地域で一から始めるとなると家を建てるにしても土地から建物から多額の金がかかる。今の時代なら家を新たに建てるとなると3千万とかそれから支度金として2千万とか5千万くらい必要になるだろう。一億円くれてやれという人もいたが本当に他の地域で新たに生活するとなるとそれだけ大変なことなのである。

今は支配層の策略にのせられている。補償金で内部でいがみあい外部からは国民から補償金をもらう原発避難民だけ得している。そういうふうにしむけられているとも思える。
だから原発避難民や福島県民はもっとそういう方面で協力すべきである。内部で補償金で争うのではなく支配層の思惑にのせられないようにその意図を知り協力する方法を考えるべきである。
ただ現状は何か支配層の策略にのせられていて思惑通りになっていないか?
内部で分裂して外部から責められている状態はそうである。
原発避難民も福島県民も何かそうした支配層の意図がありそれを知り対策をねる必要があるのではないか?やたら内部でいがみあい争っても得なことはないのである。


●地域の人間に違いがあるの?


つーか今回避難してきた人たちと触れ合ってなんとなく思ったことが
小高人と鹿島人って天と地なくらい人間性違うんだが…。


気のせいだと思うが鹿島の人は基本的に意地悪だわ…。

生まれも育ちも鹿島だが、鹿島区民は足の引っ張り合いが大好きだね。
こんな書き込みしてる俺もそうなんだろが...


体育館で3ヶ月近く避難生活していたとき、鹿島のバッチャン達の意地汚さをマザマザと見せ付けられた。
配られる物資の食料や衣類、生活用品などは、配る前から保管してある在り処を分かっていて
大量に良いものだけを選んで運び出していた。
とにかく卑しい連中だった。それが揃いも揃って鹿島区民ときたもんだ。


鹿島はそうなのかもしれん、でもどこでもいい人と悪い人いるからな、なかなかいちがいには言えないな、そもそも田舎は人間がまともなのがいないと思っている。狭い世界で狭い了見の人が多い。
田舎では個性的な人はまれでるある。それは狂人が異常なアウトサイダ-になるのだ。
だから田舎では創造的な生活をすることはむずかしいのだ。ただ自然があるということで創造性が生まれている。

鹿島の住民が意地悪だというとき自分も苦しんでいるときほとんど助けがなかった、回りでは楽しそうに見ていたのかもしれない、田舎の人が助け合うというのは今はない、かえって悪い面が露骨にでてくるところでもある。ただ一般的には金の社会になると人間はどこでも協力しない、助け合わなくなった。自給自足の村だったら自ずと助け合うことが多かったしそうしなければ小さい社会で生きていけなかった。貨幣社会にれば金さえあればなんとかなるということで人と人は協力しなくなったのである。

原町市が外部の人が受け入れやすいというのは本当である。無線塔などが作られいち早く近代化した街だからである。一方は相馬市は古い城下町でありよそ者を受け入れないというのもわかる。
街の作りでも相馬市は駅前から発展したのではない、城下町の作りそのままが残っていたのだ。原町は駅前通りが鉄道と共に発展した街なのである。そういう違いは確かにある。

何か今回ほどこの町はどうだ、この町の住民が性格が悪いとかいろいろ言われた。双葉町は一番言われた。それは双葉町の住民全部が移住したから当然回りから一つのグル-プとして見られるから必然的にそうなったのだ。双葉町民がいわき市に集団移転したからそうなった。別なグル-プとして意識されるからそこにとやかくいろいろ言われ差別が起きたのである。普通だったら双葉町民がどうだ、浪江町民だどうだ、性格が悪いとか言わない、小高も南相馬市内でも移住したから差別化されていろいろ言われるのである。南相馬市内に住んでも今までは小高町民がどうだ鹿島町民がどうだなどと意識しないのである。多少あったにしてもこんなに意識しない、それはこんな状態ではやむをえなかったのである。

ともかくここでも小高町民どうだとか鹿島町民はどうだとか相馬市民はどうだとか言っているより内部で結束して外部に向かった方が得策である。互いにそういう意識をもち外部に対抗する方法をとらないと状態はさらに悪くなってゆく。支配層の思う壺になってしまう。本当の敵は何なのか、みんなで考えて協力する方法を見いだすべきであり内部で争っていて得するのは誰か?そのことを良く検討する段階に入っているのである。


今確かに食うには補償金で困らない、しかし心は分裂している。これは明かに内部から崩壊してゆく危機なのではないか?人間は外部から責められて崩壊しない、内部から崩壊してゆくのが歴史を見ればわかる。モラルの低下とか人心の乱れ不統一とかから内部崩壊してゆく,そういう危機なのではないか?個々の家の争いとか町民同士のいがみあいとかもそうである。自分の一身上に起こったことも内部分裂であった。何かわからないがこの辺を市町村を分裂させ崩壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないかとさえ思う。ただ自分自身を襲った犯罪もそうだったし責められたのもそうだった。この辺には何か破壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないか?
そういう危機に直面している。ただまだ別に食うには困らないから深刻なものとして意識していないのである。でも心がばらばらになればそういうことは起こり得るのだ。市町村が心の面で崩壊してゆくということである。そういう危機に直面している。

posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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