2013年02月01日

一難去ってまた一難 (人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)


一難去ってまた一難

(人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)

風ひいて頭が痛い、これもまた一難である。ここ6年間が一難去ってまた一難であった。介護していると介護している人が病気になくると辛いのだ。二年間は身体障害者でありこれも辛かった。
自分の場合は30年間くらい心の変化はなかった。20代までは結構めまぐるしくあった。大学が遊びであれその後も20代は結構苦しんでいた。だから恋愛などしていない、そういう余裕がなかった。
性格的にできないところもあったが20代は誰でも波乱の時代である。だから心も相当に変わる。
心は回りの変化でも常に変わっているのだ。この辺では津浪から原発事故とめまぐるしく変わった。津浪で家族が死んだ人や原発事故で避難して仮設に住んでいる人もそうである。仮設に住む前は体育館などに避難して一時は家もなかった。雑居状態でありその時みんな助け合ったということは人間はそういう過酷な状況にともにあるときは助け合うということである。その時の心の状態と今の仮設に住んで補償金をもらってパチンコ屋とかに通い遊んでいる状態とは違っていた。今は内部でも隣の家は多くもらっているとか内部でも補償金でもめて外部からも補償金をふんだくるだけの人たちだと批判されているのだ。最初の内は東電の社員までねらわれるから気をつけろと言われていた。


国民は東電とか政府でも社員でも原発の責任に厳しい目を向けていたのである。それが状況が変わりまた国民の心も変わってきたのである。つまり人間の心は常に変わりやすいのである。人間の心は状況により縁により変わっている。同じ状態はありえないのだ。だから30年も平穏無事で心も変化しなかったということはよほど恵まれていた状態だったのである。人間は恋愛して結婚して子供もってとかそういうなかで心も常に変わっている。老人になると若いとき全く違った心になる。つまらないものが実際は特別貴重なものになったりする。それは金とか物ではない、何か夫婦で共に苦労したとかそういうことがふりかえり貴重な時であり思い出が宝となることがある。老人になると価値観がかなり変わってしまうのである。青春時代に価値あると思ったものがまるで価値のないものとなってしまうこともある。人の心は常に変わり安い、それはまた常に状況が変わるからである。


人と人の付き合いでも常に状況により変わっているのだ。深くつきあっているとこの人はこんな人なのか、弱い人を虐待する人だったのかと知り嫌になる。最初は苦労した人だと思うからそう思っていなかった。この6年間弱い立場にあり何も言うことができなかった。そのためにその弱さにつけこんでいろいろ言葉の暴力を受けた。お前は誰も世話する人がいないからどうだとか恐喝じみていた。
しかしそれも終わった。実際は今度は立場が逆転してこっちが強い立場になっていたのである。
そういう状況立場の変化が常にあり心も変わってゆくのだ。ただ相手は以前として自分が弱い立場にいると見ていたのである。こうして個々の人間関係でも常に変わっているというとき本当は社会というのは常に変わっている。その変化に気づかないことがある。国際関係でも日中関係でも最初は日本が優位にあったが今は違うけど以前として日本が優位であり日本は世界第二位の経済大国だという幻想をひきづっている。現実は変化してもそれがわからず過去をひきずっていてそうなっているのだ。国際関係でもアメリカがいつまでも全体的優位に立つということはいない、いつか思わず逆転するのだ。ただその変化に気づかないのである。アメリカは絶対的に強いんだという幻想は簡単にはなくならない。それで失敗することがある。人間は変化することに対応できないのである。


近所の人で60代の人が新聞配達するという、補償金をもらっていないから働かざるをえない、でも最近二三か月新聞を読んでいない、地元の情報を知るためにとっていたが読む暇がないのである。情報にしても今はインタ-ネットもあるからそんなに読めないのである。活字を読むのはテレビとは違い結構手間であり疲れるからだ。テレズでも今はいろいろあるから見るのも大変である。だから2時間の番組があるけどあういうのは現代にはあわない、簡単に要約したのがいいということである。それだけの時間がないのである。情報の摂取にしても変わっている。プログでもこれを毎日読むとなると結構時間がかかる、書く方にしても時間がかかる。三時間くらいは構想して書くのにかかるのだ。読む方にしても時間をさくことになる。一日の時間が限られているとしたらそんなに読めないのである。新聞は無駄が多い、半分は宣伝だとか無駄が多い、スポ-ツ欄と芸能欄など関心がなくてものっている。今はみんなこの辺では原発問題に注目している。それらを中心にまとめてもらいばいいのであり他の大部分は無駄なのである。だから新聞はだんだん読まなくなるだろう。本の読み方にしても変わった。自分の興味があることを検索してこんな本があったのかとアマゾンで注文するから結構買う本が増えたのである。自分の書くのにあわせて買っているのである。こういう本の買い方は今までできなかった。情報分野では相当な変化がありスマホとかでもありこれにはついていけないのだ。
老人は変化に対応できなくなるのだ。


だから注意しなければならないのは原発避難民に対する風当たりが今は強くなっている。補償金だけもらって遊んでいる。補償金もらうからと地元に帰らない、仮設を離れると補償金がもらえないから帰らないというのは外部から批判される。金があるからとそれですべてが解決するわけではない、
ただ人間はどうしても楽な方を選ぶのである。補償金をもらっていた方が楽だとなるとわざわざ苦労して地元に帰るのは嫌だとなる。特に老人が多いとどうしてもそうなるのだ。ただそうしていたら外部からの批判はいつまでもつづく。移転先でも心情的に受け入れられない、そうしたらいじめとか差別がこれからも起きてくる。そういう状況の変化にうとくなっているとやはり問題が起きてくるだろう。津浪原発事故から二年になろうとしているけどやはりこうした状況の変化に対応しないと外部からの批判にさらされて福島県自体がマイナスイメ-ジしかなくなってしまうのである。

posted by 老鶯 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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