2013年01月01日

(新春俳句連作-西の栄)新年の抱負を語る (今年こそ心も復興の年へ)


新春俳句連作-西の栄(新年の抱負を語る)

(今年こそ心も復興の年へ)


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(九州)


春潮や福岡城にこうろ館

開聞岳春の夕陽や船は去る
春の陽の昇り難波へ船進む


(姫路城-瀬戸内海)


花吹雪西の栄や姫路城

姫路城天守望み春の暮
春の日や侍女百人の栄かな
春の日や侍女の間つづく長廊下
侍女の間や城の回廊花におふ


(瀬戸内海)


瀬戸内や海を望みて春田かな

船のいず瀬戸内海の暮春かな
海望み電車走りて花盛り
初蝶や潮の早しや海峡に
春の海島影重ね瀬戸暮れぬ
落椿重なり島の塔暮れぬ
常夜灯古りて湊や春の月
大船の汽笛や水道春の島
常夜燈古りて湊や春の月
淡路島波のやさしく春の浜
春日さし潮の流れや五色塚


(伏見城)


愛姫の伏見に長く春愁う

伏見城伊達に最上や春の暮
政宗の茶の湯にまねかる春の夢
政宗の西の歴々と春の雲
春風や政宗西に向かうかな
殿座る広間に偲ぶ春深む
花は散る西の栄の物語



 


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今年は巳年である。去年は辰年だからやはり波乱はつづいていた。巳年は蛇だから落ち着くのかな?

「巳」(み、し)という字は、胎児の形を表した象形文字で、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表しているとも言われ、「起こる、始まる、定まる」などの意味があります。

「巳」を動物にあてはめると「蛇」になりますが、古来より、蛇は信仰の対象となっており、谷神(やとのかみ。谷や低湿地を司る)、豊穣神、天候神などとして崇められてきました。祭祀や祀りごとの「祀」に「巳」が用いられているのは、「祀」とは自然神を祀ることをいい、自然神の代表的な神格が巳(蛇)だったからです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/402685/


蛇は地を這うからねばり強いとか粘着するとかなる。悪い方になると執念深いとなる。自分も場合、陰性だから蛇と通じるものがある。何かにこだわる、だから人間つきあいでもそういうところがある。何か簡単に人のことでも忘れられないのである。蛇はまた冷静であり賢いということもある。
無駄な労力を使わないということもある。だからやたら動かないのである。それは石にも通じている。自分の詩のテ-マが石だったことでもわかる。冬の草でも俳句にしたように
故郷に忍び生きなむ冬の草」はこれは何か蛇的なイメ-ジがある。冬の草はあまり目立たないものである。今年は原発で放射能で田んぼが刈田になっていない、原野のようになっているから冬の草が生えていたから俳句になりやすかったのである。

牡丹を掛け軸にあしらったのは牡丹は富貴の花だった。今年は牡丹のように栄を表現する。

自分の家も二代くらいしかないんだけど複雑な事情で三代になっているのだ。栄はまず三代くらいつづかないと起きない、平泉の藤原家の栄も三代だったのである。三代であれだけのものを残したのである。一代二代はどうしても犠牲になりやすい、財を起こし残して次代で華が咲く、三代で消えたとしてもそれなりに華は咲くのである。自分の家もそういう用意がされていたのかもしれない、
とても貧乏だったら学問でも芸術でも華は咲かない、貧乏を呪いつつ才能があっても死んでいったのが戦前だった。今はみんなある程度豊だから才能を開花させやすいのである。高齢化というのもプラスの面として才能を伸ばしやすい、開花させやすいのである。才能を開花させるにはつくづく時間がかかるからだ。天才でない限り時間がかかりすぎるのである。


栄は西にあった。九州の博多から瀬戸内海から奈良、京都、大阪にあった。近江も信長がでて大きな栄があった。みちのくにはそうした西のような豪華な栄はない、ただ伊達政宗に興味をもつのは伊達政宗は東北ではいかに視野の広い人だったか?なぜそうなったのか?伊達政宗はほとんど地元の仙台にいたわけではない、秀吉について朝鮮まで戦争に行きキリシタン南蛮人とも交わり実に国際的だった。だからヨ-ロッパまで使節を派遣した快挙があった。あの当時でそういう大きなスケ-ルがあったことに興味が尽きないのである。また相馬とも争って関係深いこともある。どうしても会津は同じ福島県で人物で興味をもつということがあまりない、今度NHKの大河ドラマになる八重とかいう人もよくしらないし興味がもてないのである。伊達政宗は津浪でわかったように海を通じて相馬とつながっていた。相馬は仙台の方とつながりが深い、今でも交通的にも地形的にもそうなのである。中通りでも阿武隈地にさえぎられてつながりが地形的にもてないのである。仙台には通っている人も結構いたのだから日常的にもつながりが深いのである。

仙台から松島まで日帰りで行けるが会津には行けないのである。会津も山国で地形的に魅力があるのだがどうしても遠いから身近に感じられないのである。ただ伊達政宗は西の大大名と伍するためにかなりの無理をしたのだろう。そもそもみちのくは経済的に貧しく西のような豪商などいない、それで伊達ものとか無理な演出をして西の歴々と並ぼうとしたという見方は面白い。そんなふうにしないと軽く見られるという計算があって演出していた。
会津の物語より伏見城でも愛姫とかもっと伊達政宗を詳しくドラマ化すれば面白いと思う。

みちのくは今だ巳、蛇的な大地の世界である。土から離れられない世界である。それがいい方面にとれば自然と密着した文化の再生が起こりうる場所となる。東京から大阪にはそうした自然が喪失している。だから新しい文化は起こりにくいのである。みちのくにはまだ大地と密着した自然が残っていた。だからこそ原発事故には憤るのである。もちろんそのみちのくの大地を汚したのは地元の人たちも一枚加わっていた。別にみちのくでもそんなに自然にこだわる人は少ない、工業化して豊になりたいという志向が強かった。だからこそ原発を誘致したのである。ただそれでみちのくの復興が新しい文化の創造がありうるのか?それが疑問だったのである。万葉集の復興にしてもやはりみちのくの大地に根ざすときありうる。西にはそういう自然が消失しつつある。歴史的文化的集積があってもそこで新しい文化の創造は起こりにくいだろう。みちのくにはまだ本格的な栄はないのだろう。
藤原の栄華も三代で終わったように伊達政宗の栄も挫折したようにまだ本格的な文化の創造は成っていないのである。

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