抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱)
(インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)
冬の行灯
マンションの灯
都会の灯
地下の柱
神殿の柱
抽象画は本当に我ながら不思議である。この抽象画の元になったのは独特の明かりを作っている所であった。インタ-ネットにはそうした抽象画の元になる写真やら絵やらいろいろなものをでている。
抽象画の元は自分で作る必要がないんインタ-ネットで探せるのである。これ面白いからと加工してみるとこれはなんなのだとかなりそれに題名をつける。意味を与えるのだ。
冬の行灯というとき確かに江戸時代の暗さは今とはまるで違っていた。行灯に向かっているだけでそこから感じるものは相当に違ったものになる。何かそこには想像力が刺激される。何かそこには人の顔まで浮かんでくる。暗いが故に想像力が刺激される。あまりに明るい空間は想像力が刺激されないのだ。
清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22
長州藩家老
家老として急進派志士たちと国事に奔走。 幽閉中の詩
「世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火」
塀の町-萩の不思議
http://www.musubu.jp/jijimandai8.htm
このう歌はまさに行灯であった。世の中から遠い山里に灯がともっていることが何とも心にしみるのだ。その頃どれだけ暗い世界だったか、それも山里ならなおさらである。全く真っ暗闇の中にともる灯である。これは冬にふさわしいのだ。これは志士の短歌とは思えない、22才でこれだけのものを作れたことに驚く。22才で死んだのも惜しい。長く生きていれば相当な秀作の短歌を作っていた。
この人の記憶されるのはこの一首だけかもしれない、志士でも数が多い相当数混乱の中で死んでいるから記憶される人は少ないのである。 ともかく今回の抽象画は予想外のものだった。柱もそうだった。それは全くの偶然そのものであり予期しないものだった。
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