津浪の後の冬景色(原町まで自転車で行く)
津浪でこのようになった
この景色がどれだけ美しいものだったのか
八沢浦も一時海になった
古代の風景がこうだったら
やはり真野の草原は面影にして見えるほど美しいともなる
朝日が上り陽の光がさしてきらいらかがやいたらどれだけ美しいか?
死んだ人がいるんだからそんなこと言うなと言われるが
やはり美しいものは美しいのであり感嘆するのである
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寒烏十羽一団風唸る
六号線の途切れ道の駅時雨かな
みちのくの枯野の果てや沖に船
凍雲の動かず介護つづくかな
鍋こがし師走の地震また騒ぐ
津浪跡冬の夕日に残る松あわれなるかな沖に船見ゆ
静かなる冬の林にかすかにも小鳥の鳴きつ飛びわたるかも
静かなる枯木林に凍雲のたなびき動かず日の暮れにけり
雀の餌
よくスズメの成鳥は、お米や野菜なんかを食べに来ますが、本には、「野生のスズメのヒナは、親スズメからクモや幼虫など、動物質のエサをもらっているので、家庭で育てるときも最初は動物質のエサを与える」と書いてあります。クモや幼虫やハエや蚊、等だそうです。少しならしたら、すりエサ(水に浸したムキアワ、ボレー粉、水、水菜をドロドロにさせた物)をあげるそうです
烏の餌
・肉類と脂類が好物で、時には生きている獲物を襲うこともある。
・天敵がいないために産んだ卵が全て孵りますます増える結果となっています。
・小動物 植物 果実や農作物 樹木などの種など、農耕地に多く生息する。
・ハシボソカラスが農作物を比較的多く食べ、
ハシブトガラスが本来であれば樹木の種や森の小動物 昆虫を多く食べます。
この辺の植物とか動物の生態は変わってしまった。田んぼがないことが生態を変えたのである。田んぼには水生昆虫とか蛙とかがいたから鷺がそれらを餌にしていた。ところが夏にそれらがいなくなったから鷺がいなくなった。でも川に餌があるから鷺がいた。最近になって鷺が増えたのは鮭が多く上ってきてそこに集まっていた。今日は小さな川なのだけど鷺が集まっていた。ただあんな小さな川に鮭が上ってきているのか不思議であるが原町でも上ってきていたからなんか小さな川からも鮭が上ってきている。雀がへったのは米や野菜がないからかもしれない、でも昆虫類も食べるとすればまだ昆虫は森とかにいる。冬の森であかげらが盛んに木をたたく音がひびいていた。アカゲラは大量の虫を木をつついてほりだして食べていたのである。森閑とした森でもアカゲラにとっては忙しかったのである。そこは岩手県の小岩井牧場であり一面の雪におおわれていた。この辺ではアカゲラが一回くらいみてもなかなか見れない、
近くに森がありそこを原町まで自転車で行く、電動自転車だから坂をのぼりやすい、自転車にのっているとやはり自然を感じるからいいのだ。今日はそれほど寒くないみたいだった。風もそれほどでなかった。この辺は北風がこれから吹く、相馬の空っ風とかなる。冬の草というとき刈田になっていないから草が生えているのだ。刈田だったら草が生えないのである。
電動自転車は風にも強いから頼みになる。結局風流を感じるにはまさに風の流れを感じるのだから車ではもう風流もない、今日は時雨もあった。時雨は太陽が出ているとき日がさしているときぱらぱらとふるのが時雨である。一面に曇った時の雨は時雨ではない、それから森には凍雲が動かずたなびいていた。この凍雲はほとんど寝たきりの母とにている。介護も今は実際は相当長くつづくのだ。
人間は今は簡単に死なない、なぜならエアコンをしたり栄養あるものをそれなりに食べさせたり介護が手厚ければ簡単に死なないのだ。それで介護が長くなり余計に金もかかる。電気代もかかる。
これが病院に入院した人もそうである。南相馬市立病院は事務で金の請求があって払いにいったら半分に縮小していた。なんか病院でも淋しいとなる。自分がかかった医者はやめたのかもしれない、名前がなく福島医大の先生となっていたからだ。医者はどこでもひっぱりだこでありこうなると楽じゃないから勤めたくないということがある。勤務医は移動しやすい、両親などいなければ移動しやすいのである。開業医はその土地で暮らすから土着的になると書いた。看護師でも土着的でないと一時的に来ても仕事とならないから困る。ただその土地に何か特別愛着がないと定着しないだろう。
今日は大きな地震で怖かった。1メ-トルだというとき何だとみんな思っただろう。1メ-トルでは避難する気にもなれないだろう。いくら津浪を経験してもそうである。あの時は最初、6メ-トルというときやはり驚いた。1メ-トルでも実際は3メ-トルにもなるかもしれないと警告していた。6メ-トルでも10メ-トルくらいを予想しなければならなかった。10メ-トルとなったらこれは瞬間的にも驚く、6メ-トルと10メ-トルの差が大きかったのである。これで味噌汁を作るために火をかけていたのが忘れて鍋を焦がしてしまい使えなくなった。台所が食事するところと離れているから困るのである。
食事の用意をするとなると台所が近くないとやりずらいのだ。それで運んだり手間がかかっている。料理は結構手間なのである。勤めている独身の男性でも帰って料理するのがめんどうだというのがわかる。疲れているのにまた帰って料理するのでは休めないのである。ともかくここ五年間は何か自分は何かに絶えず追われているのだ。介護であり最悪の自然災害であり原発事故とかおさまらないのである。ただ病気のことが一応手術で一段落したので余裕ができたのである。自分が病気だったらこんな状態だったら火の車になってしまう。現実そういう日々がつづいていたのである。