2007年10月21日

釣瓶落とし(井戸の話)


暇あれや刈田のあとの昼の月

町畑に二羽会いて舞ふ秋の蝶

還暦に実り味わう高齢化

還暦に釣瓶落としや余命かな
 

三〇年間暇で暇でしょうがなかった。その暇がなくなり暇あれやとなってしまった。
この間にかなりの時間の無駄があった。ほとんど旅に費やされたが外国に行ったのは五〇才から一〇年くらいだから経験的には外国には詳しくなれなかったのが損だった。そもそも外国を知ることは非常にむずかしい、留学してそこに最低一年くらい住むと何かしら肌で感じるものがでてくるだろう。そういう人が今は多いから外国のことを語れる人も多いのである。旅では表面的になってしまう。高齢化とグロ−バル化は関係している。グロ−バル化とは日本だけではない国際的になることだからその知識も膨大になるし理解するのに時間がかかるのだ。グロ−バル化は高齢化とミックスして生きてくる。高齢化とはまた才能のあまりないものでも後年何かしら実りをもたらす・・・どんなことでも長年やっていれば身につくものがあるからだ。

 
俳句にしても短歌にしても子供だましで言葉を並べていただけだが六〇までつづければそれなりのものになるし芸術を極めることができるのだ。芸術でも学問でも知的な作業が時間がかかるのだ。一冊の本を書き上げること自体、時間がかかりすぎるのだ。少年老い安く学成り難し・・・は時間がたりないからそうなるのだ。六〇まで生きてもその成果はわずかである。何か一つでも理解するのには相当な時間が必要なのである。たいがいみんな時間切れで人生は終わる。高齢化は全部が悪いものではない、その最大の条件が心身とともに健康であることなのだ。でも60過ぎるとどこか悪いところがでてくる。自分の余命がいくらなのか予想がつかない、体が弱い人でも長生きしているから先はわからないがすでに体に悪いところがでてくるとやはり老人の一番の問題は健康である。
 
釣瓶落としというのは井戸の底深く釣瓶ががらがらと落ちてゆくことから季語になった。これは生活感覚に基づいている。井戸の深い闇の底に釣瓶がどんどん落ちてゆく・・・その感覚は老人の時間感覚である。時間が急速に失われてゆく・・・一日の暮れるのが早い・・これが六〇才でも感じるとしたら八〇才になったら本当に釣瓶落としに日は落ちて井戸の暗い底に落ちて消えてゆくような恐怖を感じるかもしれない、釣瓶落としといっても井戸を使っている人はすくないのだから感覚的になじみがないものなのだが井戸というものを使っていなくてもそれを想像するとあっている。水道にはこうした感覚は出てこない、井戸を中心にした生活がありそこに様々な人間の物語も生まれた。井戸にまつわるものが多いのは当然だとなる。井戸が失われたとき人間的な感覚も失われたのである。蛇口をひねれば水が出るという感覚と井戸に水をくむという感覚は相当違っている。人間の生活が不便だとかえってそこに人間的なものを残すというのも人間の逆説であり皮肉である。井戸の時はじかに地下からくみ出すのだからより自然とじかに接しているが水道になると自然を感じなくなる。水のありがたみもなくなってくる。実はその時水の大切もわからず水が生活から離れてしまっている。
 

井戸の「井」はもとは「丼」の字で、
省略された中の「ヽ」が
水を汲み上げる釣瓶をあらわしています。
水風井の五爻はこの釣瓶にあたります。

井戸の歴史はこれだけ古いのである。
 
井戸と言えば幽霊の出入口でもあった。井戸が消滅した今日、幽霊たちもさぞ困っていることだろう
 
井戸には自然とつながっている、深い地下の底とつながっているからそこに神秘性が生まれたのだ。井戸の水汲みというと何人かでしていた方が多いのか?子供のとき隣の井戸からバケツで風呂の水を運ばされていた。水は欠かせないものだから水を確保することは一仕事であり水道のないところでは遠くまで水を汲みにいかされ水汲みが子供の仕事になっているところがまだまだある。
 
清正は文禄・慶長の役のとき、蔚山城(うるさんじょう)で明(みん)・
朝鮮連合軍を相手に、「泥水をすすり、死馬の肉を喰らう」という苦しい籠城戦(ろうじょうせん)を体験しました。その経験から熊本城を築城するにあたり、籠城の備えを万全にしました。井戸もそのひとつで城内に120以上掘られたと言われています。また、大量の米や海草の干物などを櫓に蓄え、薪にするため成長の早いエノキやムクなどをたくさん植えたと言われています
 
水の確保が籠城でも最大の問題だった。朝鮮出兵で学んだというのもわかる。熊本には蔚山町があるからその歴史を語っている。
 
波照間島で井戸の水か枯れて人がすまなくなった所に行った。井戸の跡が残っていた。島での水の確保は大問題である。
 
波照間に井戸の跡あり酷暑かな
 
町畑ということによりその雰囲気を示される。畑は結構多いから自然がそこに街中でもいつもあるということなのだ。
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