2012年12月03日

牡蠣鍋 (家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)


牡蠣鍋

(家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)

冬日さす庭の大石隣かな
椋鳥の騒ぎ飛びたち仮設かな
雨にぬれ烏群れるやいつくかな
日のさして田んぼに生えぬ冬の草
牡蠣鍋を我が手に作り味わいぬ


人間の不思議は年とともに心境がかなり変わることである。特に老いるということがどれだけ心境を変えるかわからない、これも個人差があるにしろ老いることは精神的には成熟することである。
肉体的には衰えても精神的には成熟する。見えないものが見えてくるし今まで感じないものが感じる。隣の庭は手入れもしていない、そこに大きな石がある。その石を隣だから毎日見ている。するとその石に今日は朝の内は冬の日がさしていた。それがなんとも落ち着くのである。自分にとって石が性にあっていたのかテ-マとなっていた。すでに百篇くらいの発表しない詩を書いている。石からだけこれだけ書けるのも不思議である。何にしろ見方が深くなってくるのだ。ただ老いればどうしても
狭く深くなる。いろいろなことに関心がもてない、だから何でものせる網羅的な新聞は向いていない、あることについて今まで興味をもったことを深く知りたいのである。それは地元の歴史でもそうなる。どうしても専門化しやすいのである。若いときは広く浅くだったが老年になればあることについての識見が専門化してくる。ニュ-スにしても何でも関心をもていない、自分の関心、興味あることについて深く知りたいのである。だから自分の住んでいるところを深く知りたいともなる。

意外と自分の住んでいるところで今何が起こっているとかでもわからないのである。
だから福島県だけでもすべてニュ-スにすることはあまりにも広いとなる。新聞的報道は何でものせる、多くの人を大衆を相手だからそうなる。そうした報道や情報の出し方は今の時代にあわなくなっている。だからBSの団塊世代をタ-ゲットにした7時からの放送は面白いのである。
昔のテレビのように子供から老人までみんな茶の間でテレビをニュ-スを見る時代は終わったのである。情報のとり方もインタ-ネットなどでも変わってきたのである。


だからアマゾンの通販が繁盛しているのは「検索」という個々人のニ-ズに答えているからだ。
何か欲しい、何か知りたいとかいうので個々人のニ-ズに答える。それが一日で配達されるのである。自分は自転車だから大きいものは買えないから大きいものを買うのには便利である。
電気毛布を一万くらいのを買った。足が冷えると母が言うので電気アンカを買った。寒いから早く送ってもらえるから助かる。時間差はないし配達料は無料だから便利である。ただ失敗もかなりあった。パッグが見た目は良かったのだが重かったのである。重さとか大きさがわからなくて使えないものがそれなりにあったのだ。現物をみないということはそういう失敗がある。でも比較的無駄は少なかった。あまり高いものは買っていない、ただすべて通販でできるはずがない。人間的サ-ビスまで通販ではできない、でも今日は牡蠣が好きなので簡単な牡蠣鍋を作った。これも誰も教えるものがないからインタ-ネットで調べて作った。それなりにできた。ただ料理は誰かに教えてもらわないとうまくいかない、一から家事をやっているから大変なのである。


津波以後、原発事故以後この辺は変わった。椋鳥が騒ぎ飛ぶというとき仮設の人があふれているこの辺の落ち着かない状態を現している。なぜだろう、烏が朝に空一面に飛んでいた。二両の電車が通る線路の上の電線にもとまっていた。烏が増えたような気がする。雀は減ったかもしれない、原発事故の近くで昆虫に奇形が生まれたというのは解説では放射能と関係あるとは言えないらしい、そういう科学的根拠が正確ではないとあった。テレビの報道だけだとええ、足がないなと不安にさはられるがインタ-ネットでは必ず今もそのニュ-スを掘り下げて詳しく情報がどこかに提供されているのだ。

テレビは瞬間的な影響が大きいのである。瞬間的に大勢の人に注目させる。だからテレビに出るだけでその人の内容がなくても注目をあびる。政治家でも出るだけで名前が知られるからテレビに出たいとなる。最近テレビが原発批判しているのは広告費が電力会社から入らなくなったからだという。
何に注目させるかは広告費を出すものによって決められるということがある。そういう裏を絶えずインタ-ネットで報道したりフォロ-するようになった。だから今や新聞を読んでいる暇がない、いろんなことに目を通すことができないのである。いろんなことに目を通すということは気が散ることにもなり集中できないのである。


ともかく今日も一日家事に追われ一日だった。掃除から料理からまだ震災以後、家のかたづけができていない、病気の方は一応かたづいたので楽である。家事は実際は全部一人でやるといろいろある。金のこともありそうした管理でも大変でありそれに追われているのである。一人世話する介護するだけでも時間がとられる。介護も余裕がないとできない、医者でも看護師でも教育でも余裕がないと、いくらそれが仕事として大事なものであり尊敬されものであれまともにやれない、やる方も嫌になるのである。だからキ-ワ-ドで看護師が仕事に行きたくないというのがでてくる。看護師の仕事はハ-ドであり余裕がもていなからそうなるのだ。よゆうがないとあらゆる面でいい仕事はできない。
でもそういう余裕がもたせられないのが現実なのである。忙しい人はやたら忙しいのでしである。
暇な人はやたら暇なのである。

この辺でも仮設の人はいちらでも暇な人がいる。でもパチンコとかで遊んで暇をもてあましているのだ。若い人は仕事で募集しても来ないとか人手不足で時給が千円になっていたところもあった。今や老人は金をもっていたら若い人を待遇を良くしないとこの辺ではもう働き手がなくなり福祉でもサ-ビスが受けられなくなる。小子高齢化社会は全国的に人手不足になってくるのだ。だから余計に人を使うことはむずかしいから機械に頼ることになる。介護でも福祉ロボットが必要だとかなり開発されている。労働も機械的なものが多い。毎日大根おろしでも手でやると結構な労働なのである。それは機械にししてもらうのがいいとなる。だから現代は機械がいかに労働になっているかわかる。もし機械がなければ膨大な人手が必要でありとても家事など一人でやっていられない、それでも人手がたりない、機械だけでも補うことができないのである。

 


 

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