2007年10月20日

なぜ日本では自然破壊や街の景観が破壊されるのか (西洋文明は設計−建築の文明−日本は自然をそのまま取り入れる)


なぜ日本では自然破壊や街の景観が破壊されるのか
(西洋文明は設計−建築の文明−日本は自然をそのまま取り入れる)


●西洋文明の根幹は設計−建築にある
 
日本文化と西洋文化の根本的相違は設計の思想が日本にはない、西洋の文化の基は建築である。厳格な設計、計画に基づいて街自体も作り上げる。だから建築は極めて公共的なものとしてあり建築は建物だけではない、道でも橋でも庭でも全体が建築として設計されたものとしてビルトすることなのだ。根本的に西洋文明の基は建築である。音楽も建築である。壮大な交響楽も一種の大聖堂のように調和の楽を奏でる。ハーモニー、対位法、オーケストラ・・合唱を重んじる姿勢は西洋文明の一環として音楽もあった。西洋文明は人間も神が設計して作ったということにあり文明も言葉に主格が厳としてありその主格の意志のもとに作られる。大陸のような平地の国は設計しやすいのも原因している。日本のような山国では設計の建築の文明は作りにくい、つまり日本が一つの文明として西洋文明との相違は設計にもとづく公共的建築の欠如にあるのだ。そのことから日本は自然との調和する文化とか言われるがヨ−ロッパよりかえって容易に自然を破壊することにつながっている。日本人の設計は局所的なものである。それも茶室とか小さな方丈の庭のようなものしかない、それも設計して作るというものではなく自然をそのまま取り入れることを主眼としている。自然の川から水をそのまま庭の池に引き入れたりするのもそのためである。
 
●曲水の宴は自然の流れにそい人を配置
 
日本の自然に基づいて設計されるのが日本の文化であり西洋のように自ら強い意志で設計し建築する意志は働かせないのが日本の文化なのである。石でも自然石をそのまま並べ自然の姿をそのまま庭に作り出すことである。ヨ−ロッパの庭はこれとは対称的に幾何学的であり石も加工して四角にして人間の意志で人工的に配置する。庭も庭園でありそこは建築の延長としてあり公共的な人が集まる場所として作られている。日本では自然の流れをそのまま取り入れるように借景も大事にする。自然をなるべくそのままにして自然の趣を大事にする。曲水の宴というのもあるが曲水というのは曲がった流れであり短い流れでも自然のままの曲がった流れにしている。その曲がった流れにそって人が配置され即興的に歌を作り流す、自然の流れに沿って人もありうる。ヨ−ロッパの庭園は噴水とか階段状の建築的な庭園であり極めて人工的だから日本の庭とは違いすぎるのだ。西洋では曲水は真っ直ぐにしてしまうのだ。確かに曲水の宴も中国から伝わったが中国の庭も日本の庭とは違う、その庭も小さなものではない、北京の頤和園は海を模したように池も広々として建物も巨大でありやはり設計−建築の文明が中国にもある。これはすでにエジプトのピラミッドから発しているから大陸の文明は設計−建築から成り立っているのは共通している。このように自然のままにあるのが日本の文化なのだがこれがかえって自然破壊とか景観の破壊しやすいのは今や自然を陵駕する技術の発展のためである。


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●自然保護には人間の意志が必要になった
 
江戸時代あたりまでは自然の景観まで影響するような破壊は少なかった。沼や湿地帯を田んぼにすることはあった。それで象潟(きさがた)は田んぼになってしまった。明治以降は技術が進歩して大がかりな開発が行われ八沢浦のように浦が埋め立てられ田にもなった。大きな自然景観の破壊がはじまった。自然のままにというときどうしても自然は人間の手では破壊されないという前提が必要だったのだ。それがなくなったとき自然は容易に破壊され日本人の自然観は裏目になった。かえってヨ−ロッパの自然をも設計−建築するという文明が景観を保護することになった。パリなどは石の建築が一定の高さに保たれ高層ビルはなく景観が保たれている。一般的にヨ−ロッパの方が歴史的に街の景観は保たれている。それは設計−建築の思想が根底にあったから維持されたのである。日本は自然のままを取り入れる文化でもその自然を越える技術が導入されたときそれに対処するものがなかったのである。日本の自然観は局所的であり大局的に見る設計−建築の文化はなかった。戦争でも戦術はあっても戦争を設計−建築する戦略はなかった。日本という国は大陸的な設計−建築が根本的に欠けていることが最大の特徴なのである。

今地球的規模で温暖化とか自然破壊が深刻だというときすでに自然は人間のコントロ−ルなしでは破壊されてしまうという危機に直面している。自然は神が作ったものでありその自然のコントロ−ルのなかにあるというのが危うくなっている。人間が自然を破壊しうるほど自然は人間にとって小さくなってきている。自然を計画的に人間の意志で設計して建築するようなヨ−ロッパの思想が地球を守るとまでなっているのだ。人間のなすがままにしていたら自然は間違いなく破壊されるのだ。かえって日本で自然破壊や景観問題に無頓着なのはかつての自然観では考えられないような地球的規模の環境破壊が起きているからである。
posted by 老鶯 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論
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