2007年10月17日

テレビとともにスポ-ツの熱狂ははじまった (亀田一家の過度な演出はテレビの衰退のため)


テレビとともにスポ-ツの熱狂ははじまった
(亀田一家の過度な演出はテレビの衰退のため)

 
昭和30年代にテレビが売られるようになったときの熱狂は異常であった。テレビがあること自体めずらしいのだからテレビのあるところに子供も群がり大人も熱中してみていた。その熱中度合いが今の比ではない、テレビというものに対する熱中だった。だからテレビ通して映し出されるものにも熱狂したのだ。野球でも相撲でもボクシングでもそうであった。これらのスポ−ツに対する熱狂は凄まじいものだった。国民全部を巻き込んだ熱狂だった。これは老男善女を年齢も関係なくまきこんだ。テレビというメデアの力は絶大だった。
 
ファイティング原田は周知の通り疲れを知らぬラッシュでポーンを攻略し、11回KOで見事世界の頂点を極めるのである。白井義男に次いで2人目、10年ぶりの世界王者誕生にファンも大熱狂。会場の蔵前国技館では多くの座布団が舞い飛んだ。10代の世界王者誕生に日本中も大いに湧いた
 
ボクシングの熱狂も凄まじかった。子供のころだからむさぼるように小さいテレビの画面に食い入るにみんな見入っていたのだ。もちろん子供が活字より映像が刺激的なので影響を受けた度合いが大きかった。子供が熱中するものも時代によって変わってくる。戦前は活字であり小説である。ここに結構むずかしい漢字が書かれていたがそれでも娯楽として小説は抜群であり子守で学校に行かなくても字を覚えたという人がいるくらい熱中したのである。今はゲ−ムに熱中しているからこの是非はともかく時代により子供の熱中するものも変わるのだ。漫画が戦前でも熱中する人が多いし現代までつづいているとするとやはり映像としてわかりやすいからつづいている。
 
スポ−ツの熱狂はそもそもテレビという画期的なメデアができたことにあったのだ。写るだけでもテレビは人をひきつけた。テレビに写ること自体が人をひきつける時代だった。まさにテレビ時代だったのだ。相撲でも若乃花と栃錦などの対決があり子供が両陣営の応援で喧嘩にまでなるような熱狂ぶりだった。相撲も全く今の時代とは違い全盛時代だった。過去のテレビ番組には3局で野球放送をしていたり頻繁にポクシングの試合も放送されていた。
 
国鉄は直接親会社になることは鉄道法に違反していたとしてできず国鉄の外郭団体の財団法人鉄道協力会が主体となり日本通運などの企業により国鉄野球株式会社とし球団名を国鉄スワローズとした。現在では古田が監督と選手を兼任して東京ヤクルトスワローズを率いている。スワローズは当時最速の特急列車であった「つばめ」号に由来している。
 
国鉄全盛時代に巨人対国鉄スワロ−ズの試合があったことも今では忘れている。スポ−ツへの熱狂が醒めたのはテレビとういのが珍しいメデアでなくなったためである。スポ−ツとメデアとともに興隆していたのである。今回の亀田一家の度はずれた反則も結局ポクシングの人気も昔のようにテレビ全盛時代のように保てないことからきている。その人気の度合いはあまりにもかけ離れている。ボクシングだけでなくスポ−ツ全体への人気の落ち込みはテレビが珍しくないものになったことに原因していたのである。それで異常なほどにTBSが興行的に商業的に視聴率をとるために亀田一家をスタ-として作り上げた。テレビ全盛時代ならボクシングはそんなに興行的に見せるために視聴率をとるために過度な演出をする必要もなかった。ボクシングの試合そのものもを見て興奮し熱狂している人が多かったからだ。つまり現代ではテレビをスポ-ツを見せるためにあのような過度な演出をしないと見てくれないという時代になったのだ。これも誰が悪いというのではなくやはり時代だなと思った。インタ−ネットというメデアが出てきて新聞や雑誌やテレビでも規制のメデアが衰退するようにメデアが変わると熱中するものも変わる。スポ-ツの問題でも長い時間の中で歴史的に見ないとその真実は見えてこないのだ。テレビとともに見るスポ-ツが全盛を迎えてテレビが珍しくなくなり見るスポ-ツも衰退したのである。
posted by 老鶯 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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