2007年10月14日

高齢化介護福祉社会の労働は助け合いの労働 (人間は誰しも社会に大家族制を求める)


高齢化介護福祉社会の労働は助け合いの労働
(人間は誰しも社会に大家族制を求める)
http://www.musubu.jp/jijimondai36.html#bigfamily

 
高齢化の問題は日本だけではない、一番深刻なのが意外と中国だということでもわかる。人類的課題としての高齢化問題だった。高齢化介護福祉社会は今まで競争社会として追求してきた価値観とは正反対の世界である。それが一番わかるのは家族の中にヘルパ−を入れるときその人は擬似的にも家族の一員のようになる。ヘルパ−自体そう思わない賃金労働者として家族に入ってきても実際は家族の一員のようにならないとうまくいかない、料理だけすればいいとはならない、家族の一員としての無償的労働を望まれるのだ。だからそういう人が即席に金で雇うことはできない、世話になったから今度は世話する番だとか昔から金持ちの家だったらその家で家族のようにして働いていたからとかなるとその家の事情もわかっているから働きやすいとなる。これまでの会社で追求してきたような競争で勝者になるという労働とは違い家族的協力の労働になるから利益だけを追求するのとも違う価値観を求められるからむずかしいのだ。
 
カルトの宗教団体が求められたのも社会自体に疑似家族を求めたのも要因の一つだった。暴力団だってそこに疑似家族を求めている。親分子分も疑似家族なのである。それはとりもなおさず現代が家族そのものでも家族的な紐帯や愛すら失われてきたからだろう。人間は家族内だけでなく家族の外部にも疑似家族を求める存在である。大家族制があるときはその中で情愛深いものが育ったかもしれてない、そういう情愛が育つ環境を失ったとき人間はカルト宗教団体であれ外部に疑似家族を求めた、会社にも終身雇用とか大家族制的なものを求めたのである。しかしそれはまさしく疑似でありそんな巨大な疑似家族などありえようがなかった。疑似家族は国家ともなり宗教団体は恐るべき権力志向となった。何百万の人間が集まるところには疑似家族なりえない、家族というからには百人以内くらいが家族の限界だったのである。
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