2012年09月21日

秋雨 (ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


秋雨

(ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


雨しととたまゆら消えぬ秋の蝶

手水鉢しばし遊びぬ秋の蝶
塵たたず墓石を濡らす秋の雨


雨しととなお母生きて墓参り白木槿の花墓所に咲くかな

特養に一か月いた母が帰り墓参りした。施設はいいけど馬鹿になるなと盛んに言っていた。実際認知症にはなっている。耳はさらに遠くなり話しがほとんど通じない、それでも家に帰ったら洗い物とかするし動く、まだあんなに動くのかと驚く、施設では寝てばかりいて馬鹿になるとかしきりに言っていた。家で重度の認知症になった姉は役所をやめてから全く働かなくなった。働くのいやだと家事もなにもしなくなったのだ。おそらくそのことが認知症になった大きな要因になっていたかもしれない、家事もなにもしなければ頭も体も働かせないのだから頭も使わないのだから機能が低下してくるのだ。母は百歳まで生きるのかもしれない、人間は足腰が丈夫なことと頭さえボケなければ長生きして人にそれほど迷惑をかけない、女性なら家事をつづければ足腰を使うからそれでボケないということがある。足腰がだめになって動けなくなり寝たきりになるとボケやすいのだ。老人ホ-ムでは何もしなくてもいい、何でもやってくれることが一見いいように見える。でも施設では一日何もせずぼ-としている人が多く目は死んでいる。何か役割が全くない、ただぼ-としているだけなのである。
だから施設ではかえって認知症になりやすいということがあるかもしれない、そこでは自分の生きたアイデインティティとなるものがない、家だったら長い間そこで生きてきたのだからその生は家や土地と一体化してある。一生が一体化してそこにあったのである。老人ホ-ムにはそういうものがないからただぼ-としているだけになる。


ともかく体と脳は一体である。人間は脳で感じるかと思っているがそうではない、体の神経で感じているという、無数の神経が体にありそれで感じて脳に伝えているのである。風を感じるのは頭ではない、体の神経で感じているのだ。暑いとか寒いもそうである。肌の神経が感じているのである。ということは動かないとそうした神経も働かなくなるから感じなくなるから脳がボケ安くなるのである。だから運動することが大事なのである。ボケる原因としてやはり家の中で嫁がなんでもして「ばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでもみていてください」これが一番ぼけやすいのである。人間の幸不幸はわからない、奴隷のように秦らかけられていた人がボケずに働かせていた人がボケたのである。ボケは笑っているがホケほど認知症ほど悲惨なものはない、やはりこれは祟れたような精神の病である。認知症になったら根こそぎ人間の尊厳がなくなる。もう人間でないという悲惨な状態になるからだ。どうしても85くらい以上になると認知症になる度合いが高くなってくる。これはもう避けられない、長生きの最大の恐怖はボケに認知症になることなのである。


今日は本当に秋雨であり秋らしくなった。今年は暑かった。何か体がかなり消耗した。涼しくなれば本を読んだり書き物するのには向いている。墓所には白木槿(しらむくげ)があっている。秋の蝶は病院の窓辺に消えたときあっていた。暑さ寒さも彼岸までというのはぴったりだった。今年は夏が終わり急速に冬になるような気がする。手術でバスにも乗れないので遠くに当分行けない、それでも自転車には乗っている。手術したところを押しつけないで立ったり脇に乗ったりしている。電動自転車だと力を入れなくて進めるから原に力が入らない、正直今の時代歩いては生活さえできない、買い物はいくら近くても歩いては本当に時間がかかる、手間がかかる。昔のように隣近所に店があればできた。隣近所に店があるときはまさに歩く時代だったのである。歩くということを基本に社会があった。駅前通りでも駅から歩いて買い物するということだった。それがなくなったときやはり歩くということもなくなった。もう歩いてだけでは生活すらできない時代である。なんとか電動自転車に乗れたから良かった。

一人暮らしは本当に健康でなかったら悲惨なことになる。誰も助けてくれない、本当にそういう非情をここ五年間痛切に強いられた。だから一人暮らしは特に身寄りのない人は相当な覚悟で生きる必要がある。この五年間でその忍耐力がついたことは確かである。誰も頼りになれない、助けられないということを厳しく自覚させられた。人に甘えることは全くできない、家族がいないのだから病気になったら最も悲惨である。介護するものなく慰めてくれるものもない、そこにあるのは今は人情もない社会だから冷酷そのものになる。現代で凶悪な犯罪を起こすのはこの冷酷な非情な社会にあることは確かである。もちろんいつの社会でもそうだったが現代はまた豊でも人情がない社会故に凶悪な犯罪が起こる。冷酷にされた人はまた冷酷になるのだ。自分の場合はならない、それだけ恵まれていたし今になると自業自得だと思っているしむしろだからこそ人間はつくづく愛が必要だと思った。助け合うことが必要だとは心から思った。

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