2012年09月18日

相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)


相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)

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相馬市や秋風そよぎプラタナス

相馬市の街中の畑オクラの花

● 病院にて

相馬総合病院の泌尿器科の医者は好感がもてる。若い先生でも低姿勢なのである。若い先生でも
何か高ぶっている人がいる。南相馬市立病院の先生は何かとっつきにくく高ぶっていた感じがする。相馬総合病院の院長自体何かそういうところがない砕けた人なのである。一般的に医者はとっつきにくい、一段上にあり平等には話せない、若い人だとかえって話しやすいということもあった。気軽に聞けるということもあった。それなりの地位になると聞きにくいことがあるからだ。

そもそも南相馬市立病院は人間的には何か人に対するサ-ビス精神に欠けていたのかもしれない、看護師長というのもいなかったようだ。ここの看護師長は性格が陽気なのかにこやかに笑って接している。一人の看護師には嫌な目にあったとしても全体的には雰囲気がいいのである。
病院の評価はいろいろある。そもそも自分は二つの病院しかしらないから評価しようがないしこの辺では評価自体できないし選ぶこともできない、ただ病院によって相当違ったものになるというのもあるのだと思っただけである。南相馬市立病院は建物は豪華だったが医者とかは何かおごっているというかそういうものを感じた。看護師自体はそんなに変わっていない、指導体制ができていなかったのかもしれない、これはあくまでも主観的なものである。

小便は血止めの薬を飲んでぴたりととまった。きれいな小便だったので普通にももどったと思ったがそうではなかった。目に見えてはきれいでもまだ濁っているから水を一杯飲んで小便をだしてくださいと言っていた。やはり目には見えないけど検査すれば見える、放射能も目には見えないけど検査すれば見える。血の小便のようなものが手術後にそれも二週間後にどろどろでてきたので手術が失敗したかと思った。放射能でも血の小便のように色が変わったりすれば危機感を感じる。それが全然ないから全く危機感を感じない、だからこそ怖いということがある。放射能の怖さは人間の五感では感じられないことにあったのである。


● 相馬市の人口は増えていない

タクシ-の運転手に聞いた。
「相馬市の人口は他から移っている人でふえているでしょう」
「いや、減っていますよ」
「仮設などに入り人口はふえていると思ったけど」
「あの人たちは住所は相馬市ではないから人口にはなっていないですよ」
「そうか、住所は移していないから実際にふえても市の人口はふえていないんだ」
「税金も払っていないからお荷物ということもあるだよな」
「相馬市長はやりてだと聞いていますが・・・」
「まあ、自分の利益には熱心なんだけど、みんなには回ってこないよ」
若い人が減っているから衰退しているよ」

今になると一年半たって仮設の人は回りで必ずしもいいとは見なくなっている。その原因が相馬市にとってはあまり金にならないしいいことがないということもあった。仮設の人は補償金をもらっているからということが強調された。人間はどうしても金にこだわる。

今日も診てもらうまで4時間かかった。それで外にでて住宅地の所を歩み近くのス-パ-で買い物した。あそこのス-パ-には他にない惣菜を売っているのを知っていたからである。
あとで聞いたがあそこの住宅は古く「姥捨山」と地元で呼ばれているそうだ。なぜなら子供に捨てられたような高齢者が多い、葬式も出さなかったとかしきりにあとで聞いた。家賃は3千円くらいで最低である。田舎にはそうした市営の住宅が結構ある。その脇には最新のソ-ラ-パネラの屋根の豪邸が建っていた。その相違はあまりにも歴然としていた。あそこで建物をうらやむ人がいたがあの建物と古い住宅はまさに月とすっぽんである。


●駅前の花屋にて

駅前近くの花屋によって花を買った。電車を待つ時間をもてあましてその花屋に寄ったのである。
相馬市の事情をいろいろ聞いたのはその花屋だった。その人はあまりいい暮らしをしていないみたいだ。それでス-パ-で高いものをどんどん仮設の人が買っているということをしきりに言っていた。
あの人たちは補償金もらっているからとかその金にこだわっている。相馬市は補償金をもらえないので相当に不満だということである。仮設の人達は働かないでパチンコとか遊んでいる。税金くらい払ってもらいたい、それはいわきでも他に避難した人でもそうした批判がでてきている。タクシ-の運転手もパチンコ屋が繁盛してもこっちには何の得もないとか言っていた。飯館村の人が野菜作りで働こうとしたら補償金をもらっているから津浪の被害者の人を雇ったということがテレビで写されていた。それは一見なんなのだと瞬間的に思う、相馬市の人はそんなに非情なのかと一瞬その映像をみればそう思ってしまう。ただその背景は地元にするとまた違っているのである。相馬市は原発の補償金をもらっていない、そのことにこだわっている人がかなりいるということである。人間は金にはうるさいということである。浪江の請戸の人は病院の特別室に入っていた、それなりに重度だから入ったにしてもやはり金あるなとみられてしまう。気仙沼とかでは夫の仕事がなくなり妻が働くようになったが収入はわずかであると放送されていた。経済的には相当に窮迫していた。でも原発事故の避難者は補償金がもらう人は相当にもらえるから食べものなどには贅沢なのである。

駅前の花屋は立地がいいにしてもなかなか売れないということがあるのかもしれない、花の種類も少ないし店が小さすぎるのである。でも立地がいいのだからうまくやれば客を集められるかもしれない、ただ花屋にしても意外と花のことを知らなかったりするし本屋などはほとんど売っている本の内容を知らない、商売にはそういうことが意外と多い、相馬市の通りにはプラタナスの並木がある。
その人はポプラだと言った、そのプラタナスの並木にほとんど関心を示していない、葉っぱが落ちて困るんだよとか言って関心を示していない、街の美観を作っているのに関心を示さない、家でも葉っぱばかり落ちて木なんかいらないと鬼のようになって責めた人が自分の家にいた。それとにているのた。少なくても花屋なら街の美観を作っているものが何なのかくらいわからないと商売にはならない、最近面白いプログを読んだ。そこに小さな会社の経営のノウハウを書いていた。小さな会社は大きな会社にないものを追求しなければ成功しないとしきりに言っていた。花屋にしてもここは場所がいいのだからもっときれいにして花の種類を増やし花を楽しめる金を持っている人を相手にすべきだろう。小さな会社は安さだけだったらス-パ-とか大手の会社に負けてしまうからだ。何か別な売りをもってこないと成功はしない、現実に小さな会社を起業して成功するのは一パ-セントしかないという。
これほど小さな会社の起業は厳しいのである。この辺は金持ちがあまりいないから富裕層を常客とすることはむずかしいかもしれない、つまりこの辺は富裕層がいないということは文化も育たない所だとなる。庭作りなんかも金持ちがいないと職人すら育てられないという。じっくり庭作りを職人ができないからである。結局腕も磨けないと言っていた。全国でシャッタ-通りになったのはやはり経営努力の不足も多少はあった。昔はみんな店は自営業だったから経営者だった。一つの店をもつことは経営者となるからただ時間給で雇われるのとは違っている。経営能力が必要になってくる。ただ時間給で売るだけの人ならその人は経営能力などいらないのである。小さな店でもそれは一つの会社でもあり経営能力が要求されているのである。花を知らなければ知識がなければ花屋がつとまるはずがない、しかし花屋はみんな花についての知識がなくてもやっている人がかなりいる。自分は花については詩でも書いてきたようにテ-マにしている。すると花屋の店員には愛想がないから向かないにしても花屋を経営するということは向いているかもしれない、何かその人にあった商売というものはある。その人の個性にあった商売がある。そういう職業に出会うことなく年取ってしまった。

ス-パ-にはない、街には街の魅力がありそれにあった店がありうる。相馬市とかの規模でもありうる。プラタナスの並木道を歩くことは気持ちがいいのである。その道を歩いて店にもよりたくなるだろう。それはス-パ-では作り得ない価値なのである。そういう街の価値を高めることがシャッタ-通りをなくすことにも通じている。ただプラタナスの並木道にそこに住んでいる人が魅力を見いださないとしたらその街が魅力ある街にはならないだろう。花屋などは実際は相当に芸術的センスが必要なものなのかもしれない、芸術的センスはどこでも本当は必要なのである。そういう価値がこれから物が豊富な時代には高くなってくるかもしれない、プラタナスの並木道をゆっくり歩み買い物して食事して休むとかなる。となるとあそこにあるセブンエレブンなどは街の通りに不似合いだともなる。
城下町のしっとりした情緒を作るのには向いていないとなる。便利だけを追求してそういう美観を破壊するものは作ることが情緒を失わせるのである。情緒などどうでもいい、コンビニのように簡便で安く売れるものがいいのだということが主流の価値観だったがこれも変わるということもありうる。安いものだけの追求の自体は終わりつつある。そこにだけあるものの価値が高いものとなってゆく。相馬市は城下町ということでそういう歴史的文化的価値を作り出せるからいいとなる。

経営者の金庫の扉
http://pub.ne.jp/yama4285/?daily_id=20110910

このプログは本当に参考になる。経営者でなくても参考になる。現代は経営者というのが人の上にたち指導する人となっている時代なのである。
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