2012年09月12日

一年半過ぎた津浪原発の被災地 (相馬市の病院に行く)

 

一年半過ぎた津浪原発の被災地

(相馬市の病院に行く)


kashimaeki.jpg

草ぼうぼうの鹿島駅

草むして駅の淋しき秋の蝶


日立木を越えて相馬市実りかな


ひまわりの車窓に一時走り去る

●駅員と話しする


この辺は原町-相馬市間は電車が一時間おきくらいに通っている。ただ鹿島駅が草茫々になっていた。この風景がこの辺を象徴的に示している光景だった。誰も草も刈らない、整備できない、電車は遠くこないから別にかまわないとかなり放置される。
「常磐線は仙台までいつ通りますか」
「三年でできますよ、用地買収さえできればね」
「そういうもんですか、三年でできますか」
「東日本鉄道は黒字経営ですから、でも全部負担させられるから大変でしょう」
「病院に行くんですよ、車がないので電車は便利です、病院は本当に大事ですよ
いい病院がなかったら治る病気も治りませんから」
そんな話しを誰いないから駅員とした。しかし駅のホ-ムが草茫々になっている心理的影響が大きいのである。心まで草茫々になってしまう。日立木を越えると稲の実りがあるがら普通の光景になる。帰りは車窓からひまわりが見えて一時の電車にのることは楽しめた。


●手術は何でもリスクがともなっている


相馬総合病院では近くの人が入院するところだった。同じ泌尿器だけど前立腺関係ではなかった。そういう話を聞いていたのでそうだと思った。その人は職人であり筋骨隆々としていたが急激に老いた。重篤な病人になっていた。顔色も悪い。車椅子を押されて入院であった。病気は胆嚢だとか言っていたが詳しくかはわからない。あの様子をみたけど自分が入院した人たちとはあまりにも違っていた。しゃべることもできないような状態に見えた。そして贅肉がついて太っていた。
ともかく人間の病気は本当に万病がある。泌尿器科でも種類が多いのである。自分は手術が他の人より倍かかり前立腺からの出血がひどかった。それで手術跡に輸血した。それなりに危険性もあったのだ。


前立腺肥大のための手術で、手術中に患者が大量出血する。病院は止血措置をとり、4時間で止血が完了する。この間、低血圧が20〜30分続く。その日の夜に手術が成功する。しかし自発呼吸なし。その後意識が戻らず、数日後に死亡。原因は脳浮腫。


400ccもの出血があった点について泌尿器科の医師に問い合わせると、血管を切ったのだろうと言われる。問題は、血管を切ったのがミスかどうか。手術なので血管を切るのは当たり前だが、その場合でも止血措置が適切だったのかは問題。
事前に400ccの自己血をとっていたが、これは出血を予想しているから。しかしその20倍の出血は予想されてないはず
www.law.osaka-u.ac.jp/clpp/achieve/lawyering/doc/071220.doc


自分も手術後400ccは輸血した。この人の出血は多すぎたから死んだ。前立腺肥大手術は事前には危険のない簡単なものだと思っていた。しかし手術は何でもリスクがある。医療ミスがありそれか怖いのである。自分の場合も2時間つづき出血が多かった。前立腺か大きかったからである。それでやはり出血が多かった。それで手術後も血尿がでるので病院に行った。血をとめる注射をしてもらったり薬ももらう。血が何か気味悪いのである。出血が多かったから長くかかると言われた。とにかく病気は何かと不安にさせられるのだ。


そしてつくづくこの辺ではもう医者や病院を選ぶことはできない、南相馬市立病院では二棟病棟しか屋ていない。医者は外部から来ているが子供をもった看護師が流出しているからできないという。
医療は医者だけではできない必ず看護師などが必要なのである。チ-ムワ-クなのが医療なのである。この辺ではもう病気になったら早めに死ぬほかないかもしれない、他だったら大都会だったら医者を選び直せる病気があってもできない、仙台の方にあればできるとしても通うのが大変になる。電車も通らないとか乗り物には長く乗るなとか手術後指示されたら通いようがないからだ。
この辺ではもう直せる病気も治せない、江戸時代のように薬師堂にでも祈るほかなくなる。


●原発事故は心理的ダメ-ジが大きかった


これは原発事故などで医療の過疎地帯がさらに悪い状態になった。津浪や原発事故から一年半すぎたけどなぜ復興できないのか?それは津浪や原発事故が心理的ダメ-ジが大きすぎたためである。原発事故でも小高など別にたいして放射線量は高くない、そもそも政府で立入禁止区域にしたことがわからなかった。人為的に国境線のようなものがひかれその中は荒廃した。その状態をみて小高の人は帰れるのに帰りたくないとかなった。実際は放射能はそれほどのものではないから帰ってもいいのだけど心理的にそういう帰りたいという気持ちを萎縮させたのである。つまり放射能被害は非情に心理的影響が風評被害が大きいのである。放射能の影響が実際のところはどれだけあるのかわからないにしても心理的にすでに放射能地域の食べものは食べたくないという風評被害であり科学的根拠からではないものにしても心理的影響が大きいのである。


例えば景気は気の持ちようで景気は良くなるというときそうである。現実に過酷な被害であってもそれが何倍もの風評被害、心理的ダメ-ジを与えているのである。自分にしても何か原発事故の中心地帯に近いといいイメ-ジをもてない、実際は放射能はたいしたことがなくても心理的にそう思わさせられたのが20キロ圏とか30キロ圏とかの設定だったのである。だから原町の方には住みたくないし相馬市の方に住みたいと心理的になってしまう、心理的にそうさせられたというのが放射能被害だったのである。

小高は別に国によって封鎖された結果、かえって荒廃した。別に実際は放射能はそれほどでないのにそう思わされてしまった。外部からもそう思われる。放射能は心理的影響が一番大きい災害であった。放射能はどれだけ被害をだすかわからないのにその何倍もの心配もして若い人が流出したのである。放射能はそうした実際の被害がわからないのにその何倍の影響があると思わせたのである。
この心理的ダメ-ジから脱するには開き直ることしかないかもしれない、老人だったらできるだろう。俺たちはもうここで死ぬんだ、放射能などどうでもいいとかなりうる。実際そう言っている80以上の人が多くいる。ただ高齢者は若い人の助けなくして生活できない、それがなければそういう人たちはもう残り少ない余命をしたいようにさせろとなる。
posted by 老鶯 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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