2012年09月10日

秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)


秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)



川べりに釣り人二人鴨の二羽


津浪来し真野川にしも秋鴎


みちのくに夕陽の没るや秋燕


我がもとへ夕陽のさして秋の蝶

弱きものあわれや知れじ片隅に一人し耐えて虫の鳴くかな

今日は暑かったけど風が秋風であり涼しかった。もうそろそろ明かに秋の気配である。夕陽もあきめいていて陽差しが衰えている。つくづく人生は過酷だった。30年間はあまりに恵まれた境遇であった。しかし家族の認知症からすべてが狂った。そこから塗炭の苦しみがはじまった。家族がばらばらになり助けもなく奔走した。その間に病気になったことがいたかった。早めに行けばもっと軽いものとして治った。介護のために悪化させたのである。結局病気は人間を狂わせてしまう大きな要因である。若いとき病気の人をかかえた人はただ人生を呪詛するものとなった。人生をその人のために棒にふったということで恨みとなる。自分も例え苦しくても病気にならなければ災難からまねがれたことがあった。病院に緊急入院してその間に家のことでひどいめにあった。病気にならなかったらそうはならなかった。火事場泥棒だった。凶悪な犯罪に遭遇してしまった。一人は死んだがまた一人介護はつづいた。

その間に津浪や原発事故が起きた、幸い津浪の被害はなく原発も30キロ圏外で救われた。

それでもその間、医者にはいじめられ今度は自分が入院したら看護師にはいじめられ遠い親戚を頼るしかなくいじめられた。本当にここ五年間起きたことは何なのだろうと思った。それは自分だけではない津浪、原発事故で起きたことはさらに自分より悲惨だった。大船渡で家族五人とか死んで自殺した人がいた。あまりの衝撃が津波にあった。一人だけ家族が死んで残された人もそれなりにいる。
ただ悲嘆に暮れて泣いているほかなかった。本当に人生は過酷だなとつくづく思う。津浪の跡はそれを一番良く示している。その光景はまさに自分の苦しみの非情な索漠とした光景と重なる。
この世の人間の非情と自然の非情が重なった。だからまさに自分自身が経験したことは末世であり地獄だったのである。自分だけではないさらに津浪の被害者は地獄だったのである。
(地獄ぞ一定のすみかなり-親鸞)というときまさに地獄に生きた人が残した言葉でありそれとこの辺の状態は通じているのだ。


戦争はさらに過酷だった。300万人以上が死んだのだからその過酷さは想像を絶する。しかしそれほど感じないのは戦争というものを実感しえないからである。その渦中に巻き込まれたら生きるか死ぬかであり生きた心地もしなかっただろう。他にも北海道に開拓に入って病気になった詩人が人生を呪詛して若くして死んだ。そういう過酷な人生はいたるところにある。ただ自分にはなかっただけである。それを五年間は身をもって体験した。一身上でもそうだったが今や回りが過酷なものとなった。その先は見えない、過酷というとき相馬藩とかに起きた飢饉などよりはましなのだろう。仮設にいる人は食べものには窮することはない、補償金をかなりもらっているからだ。家族八人とかいる人が仮設にいた。その人はマグロのサシミを毎日のように食っているという、もともと漁師だからそういう生活をしていたからそれは変わらなかった。金があるから変わる必要がなかったのである。だからそうした飢えるとかの深刻さはないのである。


しかし人生とはみんなもともと過酷なものであった。金の卵とか集団就職した人もそうである。自分は大学に行ったのだからそういう過酷な人生を歩む必要もなかったのである。過酷な人生はみんな普通にあったのだろう。自分の父親も丁稚奉公であり一人は従軍看護婦であり母は戦前紡績工場で十年働いたとか過酷だった。人生は過酷であり犠牲にされる。猪狩満直なども才能があったが発揮せずに終わった。そんな人はいくらでもいるのだろう。才能を発揮し得る環境を与えられた人はまれだろう。

人生があまりにも過酷だと自分の人生を呪うようになるのも人間である。なぜ自分だけがこんな苦しまなければならないかとなる。楽な人生を歩んだ人を見ると余計にそう思うだろう。それもまた宿命なのだろうか?しかし楽の元は苦の元は楽になる。あまりにも楽していたら必ず苦になる。なぜなら人生が過酷だとするとき苦が必ず来るからだ。病気をまねがれることはできないことでもわかる。
ともかくこの五年間は苦しみの連続だったしその継続がまだつづいている。ただ苦しみもやがて喜びに楽に通じることもある。楽ばかりしたら必ず苦がくる。それが人生の掟であり逃れることはできないのである。



真野川に津浪がきても堤防は決壊しなかった。決壊したらさらに大きな被害になった。石巻の大川小学校は川を津浪がさかのぼってきたから大きな被害になった。多賀城でも川をさかのぼって被害があった。今日は秋の鴎が夕べ飛んで海の方に去って行った。ともかく震災から一年半被災地にはいろいろなことがあった。今回の手術入院に二週間でも大きな経験となった。だからそのつづきがかなりある。

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