間宿(あいのしゅく)について
虫の音や昔を偲ぶ間(あい)の宿(老鴬)
一山越えるに遠し虫の声
ようやくに飯館村をい出ゆくや虫かそか鳴き食事とりにき
間宿(あいのしゅく) 宿場と宿場の間が長い場合,その途中の街道沿いに休憩所として茶屋や立場が設けられたが,その立場が発達して大きな集落となったもの。多くの施設が立ち並んだが,宿場町を保護するため,宿泊は幕府によって厳しく制限された。
新酒の季節なのだ。冬から春にかけ、蔵人たちによって造られた酒は、樽に詰められ酒蔵の中で秋まで貯蔵される。
◆茂田井宿の入口に立つ道標。そばの立て札には、こう書いてある。
「江戸時代、茂田井は望月宿と芦田宿の中間に設けられた間の宿で、文久元年(1861)和宮御下向の際は、十二軒が御弁当宿となった。現在も豪壮な構えの家が立ち並ぶ古色豊かな集落である」
諏訪高島藩初代殿様『頼水』は上諏訪宿と金沢宿の間が長いため、
茅野村に宿場を造る(諸役免許)を作成しました。
間(あい)の宿は十二軒が御弁当宿となったというように弁当を食う場所だった。私と同じ経験を昔もしていたのである。どうしても宿場と宿場の間は遠くなるからそこで弁当を食うことになる。だから御弁当宿となったのだ。これは今でも自転車で行けば同じ感覚であることが実感できる。つまり昔の人も同じことをしていたことが体でわかるのだ。車だと全く旅のことはわからなくなる。