2007年10月10日

秋の暮(飯館→川俣−半日の旅)

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飯館や見るべきものなく薊かな


草の花薊の交じりあまたかな

飯館に牛四五頭や木槿かな

秋日さし牛四五頭や朝の牧

一山を越えるに遠し虫の声

木立の間祈れる像や秋の暮

道しるべ祈る碑二つ秋の暮

川俣や橋に夕日や秋柳

(バス)
一人下り樅の木とあれ秋の暮


我を待つ人あれあわれ待宵草

飯館の裏方の道秋日さし朝すずろに虫の鳴くかな

飯樋(いいとい)をまた通るかな桔梗咲き我が一人去りてゆくかも

ようやくに飯館村をい出ゆくや虫かそか鳴き食事とりにき

川俣に一時ありぬ日も暮れむ待宵草を我が見つつをり

夕日さし待宵草のあまたかな二枚橋過ぎ臼石に入る

山木屋に出てからはバスにのって川俣に出てまたバスで帰ってきた。この頃食事のめんどう見るだけで疲れるし遠くに行けないのである。飯館に見るべきものがない・・・というとき芭蕉が卯の花をかざしに・・・とにている。卯の花は目立たない野の花である。それがみちのくへ入るにはふさわしいとなる。阿武隈山地は温泉もなければ高い山もないので魅力がない、でも縦横に山の中をたどる細道に魅力があるのだ。奥の細道というとき今や芭蕉のたどった道は騒音の道であり昔を偲ぶことはまるっきりできない、でも阿武隈山地の道には奥の細道を感じる。奥の細道は変わってしまったのだ。阿武隈山地の細道を行った方が奥の細道を偲ぶことができる。
バスから待宵草が一杯咲いていたところがあった。そこから二枚橋とか臼石−飯館と行く、地名が鄙びていて待宵草にあっていた。間(あい)の宿というのを山木屋まで行くのに距離がありその前で必ず休み食事するのでそのことから実感した。昔の人と今も歩いたり自転車なら全く人間として同じ感覚になることが体でわかるのだ。


間(あいの宿)について

http://musubu.sblo.jp/article/5805913.html



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posted by 天華 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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