2007年10月08日

お産は昔から危険なもの−多くの子供が幼くして死んでいた−(昔から今を考える)


お産は昔から危険なもの−多くの子供が幼くして死んでいた

(昔から今を考える)

産婦人科はお産の失敗で裁判ざたになり責任を問われるのでやりたくないとなり医者不足が深刻である。こういうことも昔と比べて考えることが必要である。昔から今という時代の流れで人間がどういうものか見えてくるからだ。インタ−ネットで地蔵を掘り出したらその裏に子供の名前が刻まれていたとあったというサイトがあった。昔は生まれてまもなく死ぬ子供が多かった。貧乏子だくさんであり半数くらい早く死んでしまった。お産は実際は危険なものであり今もお産で誤って死ぬ子供がいるが昔は日常茶飯事だった。近くの墓に行って墓誌を見ればわかる、そこに一才とか二歳で死んだ子供の名が必ず記されている。それを考えるとお産で失敗したからと医者を責めすぎるのもどうかと思う。つまり医療ミス以前に昔は医者にすらかかれず死んでいたのである。今はともかく何でも要求することが多すぎるのだ。権利を主張するのが民主主義だから否定はできないがでは昔と比べたら現代はあまりにも恵まれていることに驚くだろう。
 
子供はかなり粗末に扱われていた、子供は多く生んで多少死んでもしょうがない、ともかく多く生み労働力にするとか親の仕事を手伝わせるとかそういう考えで子供を生んでいたしお産で親が死んだり子供が死んだりすることは多かった。いろいろな病気でそもそも長生きできない時代だった。今保険料が払えなくて医者にかかれず死んだという人がでてきたがそれが昔は当たり前だったのだ。だから親が産婦人科を責めすぎて産婦人科になる医者の成り手がないということはやはり今や医者を責めすぎる医者にかかる人に問題がある。これは学校でも親が理不尽なクレ−ムで責められて困っているのとにている。つまり現代とは民主主義とは過剰な権利の要求ばかりになる危険性がある。一方で民主主義は権利を要求するとともに義務も要求されるのだがその義務は忘れやすいのだ。義務を果たす人は権利も主張できるが義務を果たさない人までただ権利を主張するのが現代なのだ。
 
今や政治が悪いというときその政治家を選んだ民衆も悪いとなる。なぜなら政治家は民衆に選ばれるのであり選ぶ民衆にその責任がある。だから政治のことを文句言っても結局今やその責任は民衆にある、選挙で選んだ民衆にある。それが民主主義なのだ。今や指導者の責任を問いない、宗教でもカルトでも民衆が自ら選び入ったものでありその責任はその一人一人にあり指導者が悪いとはならない時代である。あらゆることに自由があり自由に選択できるのが民主主義である。でもその責任もとらねばならない、だから江戸時代なら何の権利もないのだから指導者が悪いとして武士は切腹させられるほどの責任が課せられていたのである。医療に関しても産婦人科をそれほど責めて医者がいなくなって困るのは民衆である。医療ミスは極力なくすことは当然だが昔のことを考えたら医者にかかれずに死んでいった人が多い時代のことを考えたら医者にかかれること自体幸福だとなる。人間は今の時点にとらわれると物事が見えてこない、今の時代に焦点を合わせるとこんなひどいことがあっていいのかとなるが昔だったらそんなこと日常茶飯事であり文句も言えずあきらめていたのである。
 
その無念は地蔵盆とかの子供を供養する信仰として残った。歴史を郷土史とかの研究する意味は昔を知り今を知ることが人間に必要だから昔の埋もれたものを再発掘してその意味を今に問うのである。母の心は今も変わらない、80になっても幼くして死んだ子供の事が忘れない、だから昔でもこうした子供を供養することが地蔵盆になった。今ではすべてが医者が悪いとなって終わる。誰かが悪い、自分の子供の成績が悪いのは学校のせいだ、先生のせいだとかすべて誰かが悪いとなり責められる、それが民主主義になってしまった。誰かが悪いと言えない時代はその無念は地蔵信仰に昇華されたのだ。この世には以前として無数の無念がある。過去にはどれだけの無念があって人は死んで行ったのか、戦争で死んだものもあまりにも無念だった、無念がこの世には満ちている。それがこの世ではないか、その無念は今の時代でもあるのだが過去に比べるとそうした無念は比べようがない、だからこそ90までも生き子供は数からしてお産で死ぬのは過去に比べたら無きに等しいし子供も病気で幼くして死ぬ人はほとんどいないのだ。医療ミスが悪いのは確かでも過去との比較でやはりあまりにも度がすぎるとリスクは犯せないから何もできないとなる。
 
「7人生んで、5人が育てば上等」の時代だったのです。私の家は、その通りの家族でした。しかし今の出生率は1.26であり、それはほとんどすべての出産が1回限りの初産であることを意味します
 

江戸時代のひとびとの死は,現代日本とくらべて,子供,女性で頻繁に起きていた.
なお女性では妊娠期間中および出産時の死亡も多かった.妊娠・出産年齢の女性の死亡率を引き上げて,その結果,しばしば寿命は女性よりも男性のほうが長い場合があった


今ほど子供が生き延びる率が高い時はないのだ。また生まれたらたいがい長生きする率も高いのだ。昔は子供たくさん生むことによって自然の摂理で人口を補っていたのだが文明人は生まれたら80まで生きるのが普通である。昔に比べたら女性までが男性より長生きでなかったことなど考えられない時代なのだ。つまり産婦人科医が責められるのは女性が子供一人くらいしか生まないことにある。いくらでも生む時代はまた補うことができるからそんなに産めないことにも医者を責める原因があったのだ。だからこれは医者側だけの責任とは言えないのだ。高齢化の問題と同時に少子化という社会の問題があったのである。

地蔵には子の名刻まれ80になお子を思う母の心かな
posted by 老鶯 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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