2012年08月20日

雲の峰(実がなく花が咲く放射能汚染地域の異常)


雲の峰

(実がなく花が咲く放射能汚染地域の異常)


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大鳥の飛び立つごとし雲の峰


雲の峰夕陽に映えて町覆ふ


夕空を鷺のとびゆく川下へ


津浪跡一匹鳴きぬ夏蛙

この雲の峰は何に見えるのか、巨大な雲でありなかなか崩れず同じ形を保っていた。「雲は天才である」というとき雲は変幻自在に形を変えるからである。特に夏の雲はそうである。すでに夕方はこの辺は涼しい風が吹いている。海に近いと海風で涼しくなる。それで浜通りは気候的にはいい、福島市は盆地で蒸し風呂のようになる。35度にもなる。このくらいの気候だと気持ちがいい、この雲は巨大な鳥が飛び立つ形にも見えた。また飛行機のようにも見えた。夏の雲はいろいろな形に見える。
写真でとり一句を作る。写生俳句になる。


自然は本当は同じ状態がない、刻々変わっているしシャッタ-チャンスは刻々消えてゆくとなる。デジカメだと何枚もとれるからいい、萱浜の写真は鵜をとるために偶然にとっていたにすぎないが津浪で流された家だったので貴重なものとなった。写真には何でもないものでも記録として貴重になるものがある。この辺では津浪で今まであった風景が消えたから信じられないとなる。その風景はもどってこないし八沢浦が潮水でみたされたときほど驚いたことがない、それは一回しか見れない信じられない風景だった。その写真も貴重だった。津浪できれいだと感じたのは八沢浦と磯部の家のない方で広い湖のようになった風景だった。それは死んだ人がいるとか言われたが美しい風景だった。萱浜などはそういう風景ではなかった。津浪で美しい風景が一時でも作り出されたのはわずかでありそれはあまり表にでない、凄惨な風景しかでていないからかえってそうした美しい風景の写真は貴重だった。

鷺は川には飛んでいる。餌があるから川には一二羽とかくる。田んぼがないからあとは鷺は見えない、蛙がわずかに一匹鳴いたりする。でもその鳴き声も消えた。蛙の鳴き声を聞かないのも不思議である。


明後日は病院入院である。病院も一回一か月入院したからなれた。病院はかなり暇になるところなのだ。だから自分は体は病気のように思えなかったから余計暇だった。同室の人が大原の人でその人の話しが面白かったので暇つぶしになった。それから景色がいいので救われた。病院でも実際はネットしたり本読んだりテレビを見たり同室の人と話ししたりとか何か暇つぶしはできる。ただあそこは外の景色はあまりよくない、今回はそうした準備ができるのがいいし二三週間だと比較的短いとなるかもしれない、ただ病院の怖いのは体が弱り感染病になりやすい、同室の人もなっていたからだ。

ともかく病院は長居するところではない、ただこれをのりきればあとは別にそれほど病院通いもしなくていいかもしれない、介護は本当に介護する人が病気ではできない、介護は健康と金だというのも本当かもしれない、金も必要だが人手も必要である。その人手は金で買うというわけにもいかないのが困るのだ。この辺は今そうした病気とか介護とか福祉関係のサ-ビスは混乱して劣っている。
本当は福祉とか芸術とか文化とかは基礎の経済がしっかりしていなければ充実しない、その基礎が崩壊しているのだから充実させることができなくなった。


自分は花を追求してきたが実は花の前に実があって花が咲くのである。その実がない世界になっているのだからこの辺は歪(いびつ)になった。放射能で実りがない世界、しかし花は別に咲いている、花は放射能と関係ないのである。だから花は見ることができる楽しむことができるのだ。ただその世界はまともでないことは確かである。実があって花があるからだ。実がなければ花がない、芸術などもありえないのである。この辺はだから何かみんな表情も暗いし困惑しているしどうしていいかわからないとなる。自分自身もどうしていいかわからない、何かいい方法が見つからないのである。

ただ自然はあり自然鑑賞はできるのでプログに出している。

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