津浪の跡の海岸が湿地帯化した夜明け(右田浜-写真)
(でんでん虫が草むらに眠っていた)
津浪に残った一本の松
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波ひびき夜明けの原に夏雲雀
痛々し一本残る松による夏の日まぶしく朝日昇りぬ
海よりし飛び来る鳥の鳴き騒ぐ開けし原や夏の夜明けに
津浪跡沼地に飛び交うトンボかな朝焼けの映え波紋広がる
津浪の跡が湿地化した。そこにトンボが飛び交っていた。トンボは水辺が繁殖に適しているらしい。水辺に集るのである。津浪の跡が原初の自然状態にもどる。それはまだ信じられない光景なのである。一本だけ残った松は本当に痛々しい、でもこの松は良く残った、この松は強い松だったことが証明された。だからつくづくながめてみる。確かにそういう強さをもった松だったのだろう。特別な松だったのだろう。この湿地化したところに海の鳥が飛んできて鳴きさわぐ、この辺は北海道のような原初の状態にもどったのである。ただ今年は田んぼだったところは赤
茶けで青々とした草原になっていないのはなぜなのだろう?海岸の近くは湿地帯化していた。
思うに海岸線に日本では防潮堤を作ったけどそれが自然破壊だったのである。別に防潮堤を作らなければ津浪の跡のように原初の自然状態にもどった。それはまた美しい光景なのである。結局自然は自然にまかせた方がいいのかもしれない、松原を作ったのは実際は自然ではない、無理して海の方を開拓して防潮林として松原をつくりあとは波の浸食で防潮堤を作り砂浜もなくなった。津浪によって元の自然にもどした方がいいともなる。波に浸食されたら人はそんな海岸にすまないで別な方に住むほかなかったのかもしれない、波の浸食で自然であり自然の作用なのだからいくら防潮堤でもとめることができないのである。つまり津浪も自然の作用でありそれに逆らうことはできない、そのために防潮堤を作って破壊されたのである。防潮堤を作ると美観が破壊されるのである。右田浜はもともと家が少ないから三陸の街のような凄惨な感じがしないのである。
●でんでん虫が草むらに眠っていた
ゆ-らりゆ-らりゆらりゆらゆらゆ-らり
合歓の花夕べ風にそよぎぬ
でで虫一つ日影の草むらに眠りぬ
そは隠れてひそか知られざるかな
木蔭静かに休むことこそよけれ
尾長はその尾の長く伸びやかに飛びにけるかも
でんでん虫が這っているのは見かけるけどこうしてひっそりと隠れるように休んでいるのはなかなかみかけない、草むらに隠れているからわからないのだ。葉の裏などにも隠れて休んでいるからだ。
このでんでん虫のように眠っていたい、暑い所ではハンモックとかに揺られて昼間は仕事しない、できないのである。日本も蒸し暑くなったから休んでいたい、このでんでん虫の眠っている姿はなんとも言えずいやされる。飯館村など原発事故の前は知られていない、でんでん虫のように眠っていたのである。どこの村でも普通はあまり知られないのである。そういう時がつくづく幸せだったのである。原発事故で知られてもそこに平和はもうない。尾長が飛んでいる姿がいい,長い尾を伸ばして伸びやかに見えるのだ。自然はそれぞれに個性があり癒しがある。
眠るでんでん虫
でんでん虫一つ
草むら深く
日影に夕べ眠りぬ
誰かしる
そは隠されて
安らかに声もたてずに
眠りてあらむ
人の世のことも知らずに
赤子のごとくに・・・