南相馬市の特別養護老人ホ-ムの待機者は300人
(深刻化する医療、介護・・・死生観を変える必要がある-中世に学ぶ)
●深刻化する介護問題
東京都足立区の自営業、伊藤和子さん(56)は昨年暮れ、弟の急死に伴い母親(81)を自宅に引き取った。全盲で認知症もある母親はトイレ、食事とも介助が必要で、最も重い「要介護5」。伊藤さんはすぐに、区内の特別養護老人ホームに入所を申し込んだが、待機者が約800人いると聞かされた。
訪問介護サービスなどを利用し、何とか介護しているが、伊藤さん自身も腎臓が悪く、来月からは透析のため入院しなければならない。当面1カ月間は、老人保健施設に預けられることになったが、費用は特養の2倍近くかかる。
http://ombudsman.blog61.fc2.com/blog-entry-677.html
特養の入所待機者は田舎でも100〜200人くらいです。地域によりますが・・・
施設の空き待ちですが、特養は多いところで、数百人〜千人単位と聞いたことがあります。私の、親族は300人待ちで、少なくとも5年待ちといわれたことがあります
介護保険利用の特別養護老人ホームのことだと思います。
通常100人〜300人の方が登録入居待ち、多いところだと
600人待ちと言う所もあります。
有料老人ホームならせいぜい10名以内でしょう。
都市部では20万円程度では介護付有料老人ホームへの入居は厳しいですね
一か月家族を介護施設にあづかってもらうことになった。ケアマネの話では南相馬市では特別養護老人ホ-ムの待機者は300人だそうである。これが多いかの少ないのかまた平均的なのか?その辺はわかりにくいがこの数がさらにふえてくる。特にこの辺は小高区などにあった施設が閉鎖されたことや避難者が多く人手不足であり条件が悪くなっている。医療サ-ビスもまともに受けられない時が一時あった。救急が利用できないときがあった。その混乱時期は過ぎたにしろやはり医療や介護など福祉サ-ビスは他より悪くなる。自分の状態は伊藤さんににている。こういう人も多くなる。自分よりもっと条件の悪い人もいる。二人一人は障害者でもう一人は90以上の高齢者であり福祉でオムツとりかえにとているという。そこでは一生障害者の世話をしていた。そういう人もいる。夫が若くて重度の病気になりその世話を死ぬまでしつつけた人がその苦労を延々と語っていた。そして死んだが今では恨んでいる。
その事情もわかる。医療とか介護の問題は他の問題と比べて命にかかわるしいくら死んだ方がいいとか言っても現実問題では個々の事情も様々でありそうはならない。放っておくわけにもいかないのである。 だからこの問題は深刻であり自分も経験して大変な苦労した。今は隣近所などあてにならないし家族数が少ないとか負担がある一人の人にかかる割合が多くなる。一方が病気になったりすると共倒れになる。特養は最初は身寄りのない人とか優先的に入れていた。今は介護度と年金額で決まってしまう。介護度4-5だと優先的になる。身寄りのない人は行き場がなくなる。病院すら重症者でも病院から出される、テレビに出た人は一人暮らしてあり食事の用意すらできない人だったのでありあれを見て残酷だと思った。またそうした人もふえてくる。つまりそうした高齢者がどんどんふえてくることに問題がある。その受け入れる先もない、東京辺りから福祉サ-ビスのいい市町村に移住しようとする人がふえているという。それも高齢化の現代である。退職者が田舎に移り住むというのもブ-ムになったのもわかる。高齢化の問題が現代を象徴している。でも疑問なのは今日いろいろその人の生い立ちまで詳しく聞かれた。そこまで聞くのかとためらった。それで個人情報をもらさないという契約書をもってきていたのである。
●福祉の介護問題などは金ですべてが解決しない
ただ感心したのはその人の食べものの好みなど詳しく聞いた。病院ではそういうことをしない、個別的に食事は対応していないからだ。だから個人的な事情やその人の性格があり聞いたのだと納得した。こういう時東京に住んでいて地方の市町村の介護サ-ビスなどを受ける時、地元出身者でないと問題がでるかもしれない、地元に住んで地元で暮らした人は地元に貢献した人は地元の福祉サ-ビスも受けられる、それは金銭問題ではなく相互扶助があった田舎の暮らしの延長としてそういうふうになるのが人間生活では自然である。全然その土地と縁もゆかりもない人に地元の人が金だけで奉仕するのは違和感でてくるかもしれない、福祉になると何か金だけでは解決しにくい問題がでてくる。もともと家族だから大家族のときは誰かが介護していたのが自然だった。ただその時は60くらいでみんな死んでいたのである。だから介護問題は深刻にはならなかったのである。今は90まで生きる人が本当にふえてきている。だから昔は参考にならないのである。
介護福祉問題は金だけ解決するとは限らない、金持ち用の施設でも金持ちに奉仕するのは嫌になったとか勤めている人が言っているからだ。
若い人もそういうところで金持ちに顎で使われたら嫌気がさすだろう。だから介護問題は金だけでは解決しない複雑なものがある。人と人が密接にかかわるからそうなる。物を一時的に買ったりするのとは違う。今や物は地球の裏側からでも簡単に入ってくる、でもその物を提供する人たちは誰に提供しているかわからない、みな不特定多数のものにモノを提供している。ところが介護となると全然違う、相手は現実目の前にいる血の通った人間でありそこでモノを売るのとは違っている。だからこそ介護などは家族がしているのが自然だったのである。身寄りのない人は別である。
君がため 手力疲れ 織りたる衣ぞ 春さらば いかなる色に 摺りてば良けむ
君がため、浮沼(うきぬ)の池の、菱(ひし)むと、我が染めし袖濡れにけるかも
君がために努力して織った衣だよ、でも疲れてしまった、今度はどいういう色にすれば気にいってくれのだ・・・これはやはり君がためでも過労があったことは確かである。こういうことは介護にもある。君がための介護に疲れる、どうしたら満足してくれるのだろうかとなる
http://musubu.sblo.jp/article/13446113.html
君がための労働が介護なのである。そこが他の労働と根本的に違っている。だから実際に今や家族より実は施設に働いている人が最後をみとり親切にしてくれた人が他に移るとき涙を流していたとか
家族以上に思っている人もででくる。その人は認知症だったのである。現代は家族のつながりさえ希薄になり金持ちは施設にあづけて自ら介護はしない、それだけ苦労はしないし薄情化している。
野原におびただしい死骸が横たわっているのに出会った。その風景は日常茶飯事だった
死屍累々の風景は見慣れたものだった。この時あまりの酷さに歌を詠じている。
惜しめどもついに野原に捨ててけりはかなかりける人のはてかな
(一遍絵詞)
「およそ一念無上の名号にあひぬる上は明日まで生きて用事なし、とくに死なむことこそ本意なれ、仏法に価なし、身命を捨てるがあたひなり」
中世はわかりにくい、ただあれほど宗教熱になった背景は死があまりにも日常的だった。道にごろごろ常に死体が無惨に転がっていたのである。野垂れ死にが日常の風景だったのである。死体がつながり橋のようになっていたとかそれを埋めたのが化野の念仏寺であった。無常きわまりない世の中だった。だからこそ本当の宗教者が続出した。今のカルト宗教団体とかとはまるで違っている。今の現世に欲でどこまでも執着する宗教であるから現代を繁栄している。中世は全く違っていた。松島にも一遍がきていてあそこには三千人の修行僧がいたとかあそこ浄土の島でありあそこて死に場所として遠くから僧が集った。檀家宗教のようにのんびり戒名でもさづけてぜいたくな暮らしするのとは違う。環境がそういうふうに追い詰められていたからこそそういう真剣さが生まれた。武士道でも葉隠が死ぬことと見つけたりというのも武士もいつ死ぬかわからないからそうした死生観が生まれた。
現代はそうした感覚は消失した。どこまでも生きる、胃ろうですでに三年生きている人もいるし人間は死なないんだということを科学で医療で求められているのだ。 だから中世をふりかえる意義は人間の死生観を変えることなのである。人間は死ぬものだし死ぬことは悪いことではない、浄土に行けることでありむしろ死を望むという思想が必要なのである。中世では環境がそうさせたが今はそうでなくてもそういう死生観に学ぶべきなのである。人間の生の欲望はきりがないものである。どこかで断つしかない、それには中世的宗教や死生観が必要になってくるのだ。現代の問題は高齢者が死なないことから発していることが多い。財産問題でも親の遺産を受け継ぐのは親が90まで生きるとしたら60代なのである。そうすると親の財産を受け継いで自由にできるのは遅すぎるのである。自分でも自由に金を使ったのは遺産を受け継いだのは60以後である。それまでは旅行しても貧乏旅行である。だからその金で300万くらいで庭作りした。それまでは自分で百万の金を自由に使ったことはないのである。すると何か自分でやれることができないである。そしてそうした高齢者がいつまでも財や金や地位をもっていることは社会にとってマイナスなのである。つまりトップが死んだりすると自然と解決する問題がある。ある人が家族でも社会でも死ぬと問題が死によって解決するのである。それまではその人が生きている限りは問題が解決しないのである。自分の家族ではそうだった。暴君がいたとしてそれはその人が死なない限り現実は解決しないのである。
そして三国志のバラマをBSで見ているが非常に若い人が指導者になっている。あんなに若くてやれるのかと思う。戦争だから経験がないとやれないと素人は思ってしまう。ところがやらせてみるとやれるということがわかる。やらせてみないかぎり人間にはわからないことが多くある。責任を持たせない限りやれるかどうかはわからないのだ。だからな陸遜も全く無名であり戦いの経験なくても劉備軍に勝てたのである。人間の能力はやらせてみないかぎりわからないものが多々あるのだ。ある人を抜擢してめきめきと効果を出すひともいる。また失敗する人もいる。それはやらせてみない限りわからないのである。それが現代では高齢化でできないというが社会全体で衰退する原因にもなっている。明治維新でもあれだけ若い人が良くあれだけのことをやれたと感心する、それはやはり時代がそうさせたのである。そういう時代が変わる時は若い人が能力を発する。今はそういう機会が与えられないのである。
これを言うとあんたも早く死んでいいですとか喜んで若い人が書いてくる。老人は早く死ねと毎日叫んでいる若者もいる。それだけ若者の鬱憤がたまりにたまっているのである。だから60以後は死生観を変えねばならない、ただ長生きをすべて悪いものとして否定はできない、長生きして一芸に達する人も多いからである。そのへんの兼ね合いがむずかしいがやはり死生観を変えることが迫られていることは確かではないか?人間は今やあまりにも生に執着している。60になっても女性は若くありたいと飾り性の欲望がむきだしになったり物欲もはげしくなったりと昔の老人とは違う。昔より体が若いということもある。だから生の執念はさらに激しくなっているのだ。どこまでも自分の業を欲を生きるんだ、それが人生だとなり中世のようにはならない、醜かろうが何でも生き延びることに価値を見いだしているのである。