
慣れにける近道行くやつばめ飛ぶ
道は街を左右するほど重要である。道が変わると街の様相もがらりと変わる。むしろ道によって街が作られるのだ。旧街道沿いの道は車社会から取り残されてしまった。どこでも古い街の中心街が一番不便なのだ。毎日自転車で通うになりわかった。道幅が狭く車が行き交うのだが人と自転車にとっては狭くて危険なである。歩道も狭く人一人しか通れない、だからどこでも旧市街というのは買い物にも不便である。通ることさえ不便なのだから買い物にもゆきずらい、車だけが通りすぎてゆく道になっている。だからかえって街の中心を通らずに脇にそれた道が車も通らず近道になって通りやすいのである。車社会ではかえって脇道の方が自転車とか歩きには通りやすいのだ。ただこれは地元の人でよく道をわかっていないと利用できないから遠くになると不便な道を行くことになるのだ。
認知症のサイトやプログは豊富である。ここ三カ月くらい毎日それだけを探し読んでいた。介護日記とか介護士日記とかリアルな体験談はかなり参考になった。ただ忙しくてトラックバックとかコメントはつけられない、自分自身のことを書くだけで精一杯だった。プログについてもこれがどういものかまだわからないし調べることができなかった。ただ認知症関係はそれなりに来ているのだろう。「今日の一句一首」はすでに三年くらいつづけている。今回は「認知症」と今日の一句一首になってしまった。プログは日記だからその人の実際の生活をリアルタイムで発信するのだからこうなってもしかたない、正直自分の生活は変則的になり疲れる。だから本サイトは更新できなくなった。これもどうにもならない、プログの弱点はアクセス数とかが外国からの宣伝リンクでわからなくなってしまったことだ。毎日百とかきていてわからなくなった。
認知症の問題はこれは広範囲な問題であり様々な視点から探求研究されるものである。医学的見地だけではなく社会学的見地とからの探求も必要なのである。心理学的な要素も大きくかかわっているとか何か総合的な問題提起として認知症はあったのである。だから人の和というのが認知症を防いだり癒すには必要なのだがこれが現代文明社会では欠けてしまったからボケ老人がふえたりいやすことができないともなっているのだ。沖縄ではボケ老人はいないとかいうのはそういう人たちもつつみこむあたたかい人の和がまだ残っているからそのなかで癒されるからそうなっている。認知症を防いだりいやすのには人の和が必要なのだがそれが家族すらにもないからボケ老人がふえるのだ。