2012年05月18日

丸森から梁川へ 春の短歌十首 (金山城、小浜城、梁川城を訪ねる)

 

丸森から梁川へ 春の短歌十首

(金山城、小浜城、梁川城を訪ねる)

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幾代の城主や梁川花の散る


丸森へ我が入りゆくや山の間に鳥なきひびき山桜咲く


丸森に入りて知られじ梅林の馥郁とにおい家そひそけき


丸森の夕べの桜あわれかな我が坂越えて相馬へ帰る


丸森の金山城に残雪の蔵王の光り新緑に映ゆ


一時は相馬の城や金山城夏草踏みて跡をたずねき


丸森に山越えてこそ東風(こち)吹きぬ政宗の初陣相馬を望む


丸森の坂越え相馬へ還り来て何を伝えむ夏の日暮れぬ


一時は政宗が居城山城や花咲きそめて我が訪ねけり


丸森の我が坂越えて梁川や城跡古りて桜散るかな


一時は会津の治む梁川やせめぎ合いにつ夏の日暮れぬ


残雪の吾妻蔵王を望みつつ桜は桃の伊達の春かな


梁川や柳青める城跡を訪ねてあわれ夕ぐるるかも



春のサイクリング-丸森-梁川-阿武隈川-丸森(短歌の部)
写真
http://musubu2.sblo.jp/article/37411301.html

 

丸森(金山城)

金山城は、永禄年間に相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋紀伊が築城したと言われる。
その後伊達氏と相馬氏の争奪戦が展開された。
天正9年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同12年(1584年)に伊達氏の領有となった。
そして、金山城は政宗の家臣中島宗求が2千石で拝領した。


小浜城

永禄11年(1568年)小浜城主・大内義綱は田村氏に通じて主家の石橋尚義を追放し、塩松地方一帯を支配下に置いた。大内氏はその後、田村氏からの独立を目論んで伊達氏・蘆名氏の側に転じた。
天正12年(1584年)伊達政宗が家督を継ぎ、当主・大内定綱は引き続き伊達氏への従属を誓ったが、翌年には離反し、蘆名氏に属する。この後政宗は小浜城を二本松氏攻撃の拠点とし、
天正14年(1586年)8月までの約1年間滞在した。
天正19年(1591年)、奥州仕置によって塩松が蒲生氏郷領となると、家臣の蒲生忠右衛門が2万5千石を与えられて小浜城代となった。現在、本丸跡に残されている石垣はこの時築造されたものである。その後、上杉氏時代は山浦景国、再蒲生時代は玉井貞右が城代となり、寛永4年(1627年)廃城となった。


梁川城

伊達義広 粟野大館(梁川城?)
伊達政依 梁川城?
伊達宗綱 梁川城?
伊達基宗 梁川城?
伊達行宗 梁川城?→霊山城→伊佐城→梁川城?
伊達宗遠 梁川城?
伊達政宗 高畠城→赤館
伊達氏宗 赤館
伊達持宗 大仏城(後の福島城)→梁川城
伊達成宗 梁川城
伊達尚宗 梁川城
伊達稙宗 梁川城→桑折西山城→丸森城(隠居)
伊達晴宗 西山城→米沢城→杉目城(隠居)
伊達輝宗 米沢城→舘山城(隠居)
伊達政宗 米沢城→黒川城(後の会津若松城)→米沢城→岩出山城→仙台城→若林城(隠居)

http://musubu2.sblo.jp/article/33335304.html
 
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梁川の川の岸辺に桜咲き柳も青みて夕暮れせまる


梁川はこの川と柳が印象的な場所だった。街からはずれたところに阿武隈川が大きく蛇行しているのも見物である。阿武隈川は意外と魅力に欠けているがあそこは蛇行して激流となり流れるから魅力がある。桜も桃も映えて川は丸森の方へ流れてゆきやがて亘理の方へ流れ海に出る。


やはらかに柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに 石川啄木

柳は北上川でも一本の柳ではない、それなりに目立って何本もの柳なのだろう。この辺では川に柳を見ない、するとイメ-ジしにくいのである。他では川に柳がある。
川柳(せんりゅう)」という歌は、江戸時代に実在した柄井八右衛門という人の俳号「川柳」に由来するもの。川に柳はつきものだったのだ。


柳橋とかもあるし柳と川は一体としてあった。
ただ桜だったわかるけど柳をそれほど泣けとごとくに心の目でイメ-ジしたことがわからない、
春の息吹を感じるのは梅であり桜であり柳というわけではない、ただ川にあっているから川を思い出して柳が目に浮かんできたのである。梁川には旅してやはりこの柳があっていた。
ただ一時いただけであり急ぎ去ったからそれほど印象に残ったとはいえない。ただ梁川はこの柳の方があっていたことは確かである。旅も印象が薄れるとどういう場所だったかわからなくなる。
それで写真を見たりして思い出すのである。近くだと思い出しやすい、梁川は歴史的にも伊達氏の拠点となって城であり地理的にもそうだったのだろう。



丸森の金山城とか小浜城の魅力は小さいけど城の最初の形を維持していることである。山城であり山が防御のために利用されている。小浜城は小さいようだけど山を利用したもので頂上まで上り攻めるのには地形的に難儀する。地形を利用した要害である。南相馬市の江垂(エタリ)の中館も山を要害とした砦でであった。それが中世から起こった城であり最初は山のような要害を利用した山城だった。あとに平城になった。鹿島区の駅の近くの田中城が石田三成の戦国時代に最期の興亡の城となったのは地理的なもの地形が影響していた。平地の城で戦うことになったからだ。その城は回りが湿地帯であり今回の津浪でその近くまで津浪が押し寄せて今は湿地帯化していることでもわかる。
中世の城は館(タテ)と呼ばれていて地名化している。飯館村でももともとは大館村などがあり合併した。大きな館(たて)があり地名化した。館は山を要塞として不便な地域にあった。山自体を要害としていたからである。


その地域を見る場合、こうした山城の跡でもあれば古いとわかる。それから古墳などもあれば古代からつづいている地域だとわかる。梁川は城跡があってもこれも城があったのかどうかもわかりにくい、でも古い要の場所だから伊達政宗が抑えていた。ただ今は街を改造したので新住宅地にして古い町並みもなくなっているのでここは新しい街なのかと錯覚する。でも城跡があったから古いとわかる。そこからその町を見る必要がある。どんな所に行っても旅しても最低の歴史認識は必要である。
梁川などは城跡見ないと新しくできた町かと錯覚する。でもそこでは代々つづいていたのであり興亡があった。この辺では相馬市の玉野の領地争いで象徴されているように会津、米沢、伊達、相馬で争っていたのである。だから交互に城主にもなったりしていた。金山城はそうだった。


この三つの城あるところは景観が優れている。小浜城から安達太良山が大きく見える。丸森に入ると小高い丘に金山城がある。そこから見た蔵王は近くに見えるから威容がある。それから丸森から坂を越えると残雪の吾妻嶺がかなたに望まれ蔵王すら見えてくる。そして阿武隈川が梁川で合流していたり蛇行してその景観が雄大だった。伊達には桜と桃が一時に咲くのも見物である。桜咲く時期が一番見物である。日本はどこでも地形が複雑であり地形的に魅力がある。ただ平坦な地ばかりつづいていたら満州のように嫌になる。日本はだから旅してあきることがないのだ。日本ではどこでも桜咲く時期が一番美しくなる。放射能騒ぎでもこうした景観には影響していない、桜も桃も実は食べられなくても花は咲いて鑑賞できる。でも桃などは実が食べられないとしたらやめる人も出てくるだろう。
花だけでは売り物にはならないからだ。とにかく山の美しさは中通りから会津にあり浜通りにはない。でも高い山は阿武隈高原からも望まれる。景観的には福島県は中通りまでは望まれるが会津になると視界に入らない、そこには2000メ-トル級の山がひしめきあっている。だから福島県でも別世界になってしまうのである。それだけ福島県は広いのである。日本の地理のわかりにくいのは山が縦横に重なっていて視界をさえぎるからである。山の中にまぎりいると方向も地理もわからなくなるからだ。


俳句とか短歌とか詩の鑑賞でもこうした地形をよまないと鑑賞できない、最低限の歴史的認識は必要なのである。だから小さな山城でもその跡でも訪ねる必要がある。何度も丸森に行ったけどちょうど相馬との境が坂を上った所にある。金山城は相馬領に最も近い所にあった。日本は坂が境になりやすいことがわかる。自転車でその坂を越えたり下ったりしたことが体に刻まれているから記録が蘇るのである。丸森は相馬から遠いようで近い。海の風が春吹く東風(こち)が山を越えて吹いてきたのがわかった。政宗の初陣の地として有名であり政宗は相馬との戦いで海をはじめて意識したという、海は丸森から確かに近いし山から見えるのである。


丸森を去るときいつも夕暮れが迫っていてそこで夕桜をいつも見て相馬の方に帰ってきていたのである。つまりそういう難儀な過程があって旅になっている。車だとそういう記録が残りにくいのである。坂という感覚すらなくなってしまうのである。地形と一体化できない、つくづく車がいかに便利でも自然との一体感とか人情の世界を破壊してしまったかわかる。浮世絵とか見れば自然であれ街であれ江戸であれ明治であれまだ人間は外界との一体感があった。情緒的に人間と外界は分断されていないのである。人間と外界は自然であれ街であれ現代は分断されている。でも自然の景観自体は大きくは変わっていないのである。丸森から梁川から阿武隈川を下ってまた丸森に帰る道は景観が雄大である。ここは観光コ-スとしてお勧めである。

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