2012年05月05日

夏の海(津浪のあとに草原から望む海)


夏の海

(津浪のあとに草原から望む海)


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波しぶき遠くにたちて夏の海


波しぶき砕ける白さ夏の海


波しぶき朝に砕けぬ夏雲雀


草原に朝風そよぎ夏雲雀


荒々し白波たつや津浪にも残れる松の数本立ちぬ


田中城湿地の中に蛙鳴く声高鳴りて城を守りぬ


松原がこの辺ではどこでも津浪で流され喪失した。右田の松原はいい松原だった。その松原も百年とかありみんな見てきた。自分もいつも見ていた。ただ松原があるから遠くから海は見えない、浜通りでも宮城県でも意外と海が近かったのだか松原などで海は遠くから見えない、だから海を意識しなかったのである。常磐線でも海が見えたのは新地駅だけでありあとは見えない、ところが浜吉田駅まで津浪がきていた。浜吉田だから海が近かったのである。津浪は遠くから見て津浪が来てから逃げて助かった人がいる。仙台の遠見塚とあるけどやはり遠く、それも海を見ていたからその名がついた。そこも海に近かったのである。海も見えないと意識しないのである。


草原のかなたに波しぶきがたち何かそれが夏らしく清々しい、津浪で原初の風景に戻ったのである。田中城は湿地帯に囲まれていた。湿地帯が防御の役割を果たしていた。その近くまで津浪で来て湿地帯になったことでよりリアルになった。湿地帯と言ってもリアルにイメ-ジできないことがあった。
現実に今は田中城の回りは湿地帯になっているからわかる。ともかく草原化して草が風になびき光景は田んぼがある風景とは全然違っている。でも水田は人工的な風景であり津浪のあとの風景がもともとの風景だったのである。


千倉庄田中の城へ黒木武石東郷の面々押し寄せたり、田中の城三方は大淵囲み古松、老柏、繁茂して容易に近づきかたければ冬より夏にいたる。
此の城平野の田畑となりしは近き世、石田治部少輔三成堀久太郎大崎の仕置きに下りしとき数日田中に逗留するとき大樹を倒し堀を埋め立て平地となす、顕胤は掛田帰陣も近ければ不日にもに田中を責め落とさんと評議せり(奥相茶話記)
http://musubu.sblo.jp/article/34831653.html


ここになぜか三成がでてくる。三成の畑も野馬追いにでている。三成とは縁が深いとなる。


ともかく波がうちよせ一段と砕ける波が夏の日をあびて白い。草原化した湿地帯化した風景は原初の風景に戻ったのである。蛙もかえって元気になり声高く鳴いている感じがする。水田より草原が夏の感じが出ている。水田はどうしても湿っぽくなる。草原は広々として果てに海が見え波が白く砕けて夏らしい。水田の風景は山の方があっていたのかもしれない、海側はもともと湿地帯であり水田に適していなかったが土地がないので無理やり干拓したからである。宮城県の海側もそうである。無理に開拓した所だったのである。広い土地は海側にあったからそうなった。それが元の海に戻ったのである。

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