2006年04月12日

夕燕夕雲雀(強いられた人生)

夕燕夕雲雀(強いられた人生)


なお聞かむ命のひびき夕雲雀

夕燕二つの家の行き来かな


こんな奇妙な生活になるとは思いもよらなかった。二つの家を毎日行ったり来たりしている。家が二つあることは疲れる。これも自分に与えられた宿命だった。宿命というとき人間はどうしたって自分で親を選べないように強いられた宿命として人生を受け入れざるをえない、大正時代生まれの人は苦難の人生を強いられたのだ。私の母の場合は少女時代は裕福な金持ちの家で育ったがその後会社が倒産して一家が辛酸をなめた。もし裕福なままに育てば人間そのものも変わっていた。その後結婚しても夫が事故で死んだり戦争があったり自分を生んだのも結婚したのも自分の父親の20歳年上の夫だった。これは本当にいやいやながら仕方なくやむをえず嫁いだのである。嫁いだ自分の家でも家政婦かお手伝いさんのように働かされたのだ。それは全く強いられた人生だった。だから関心があるのが金であり他に趣味などない、花にも興味などない、それでもボケていない不思議である。もし裕福で生活に余裕があれば俳句とか短歌とかの手ほどきを受ければ教育を受ければそれなりの教養を身につけたかもしれないのだ。そういう人生を選べない強いられた人生だったからできなかった。強いられた人生というと戦争で犠牲になった若者も国家から強いられて若くして御国のために死んだのである。そこに選ぶ余地がない、赤紙一枚で戦地にいやおうなく行かされたのだ。

人間は貧乏だったり時代の要請で強いられた人生を送る方が多いのかもしれない、環境によっても強いられる。貧乏だったらいやな仕事でも食うためにやらざるをえない、昔だったらニ−トなどしていられない、飢え死にするからだ。今80以上の老人はそういう強いられた人生を送ってきた人が多いのである。貧乏でなくても宗教団体に入っていると批判する前にその団体にいることが当然なのだからそこに従うことが強いられる。自由が言われるようになったのは豊かになったからである。豊かで平和であれば自由な選択が許されるようになる。いやな仕事にもつかなくてもいいとなる。自分がまさにその人生を無職で過ごしたのも家が豊かでありそういう人生を許されたからである。その結果として今の介護が強いられているといえる。感性がない家族から認知症が出るというけど感性とは何なのかよくわからない?その人の感性を個性を作り出すのは時間的余裕がないとなかなかできない、たいがい貧乏な時代を生きた人は感性を磨けるのはほんの一部の人だった。親のために働くことを強いられたのが多いのである。つまり食えればいい時代にはたして感性などみがけるのかとなるとむずかしい。自由な選択を許されるのは豊かな平和な時代であり戦後はそれがあったしさらにその自由の度合いは大きくなってきたのである。人間はさらにそれぞれの個性による才能をのばせる時代になる。これが社会の進歩なのだ。自分が感性をみがくことができたのも結局自分の才能よりそうした環境が与えられたからである。本サイトであれだけ書き続けることができたのもそういうことに専心して集中力を傾けることができたからだ。今になるとなんか余裕がなくなり書けなくなったことでもわかる。これは才能ではなく誰でもあることに集中する環境が与えられるとそうした才能が発揮できる証拠である。毎日介護であれ生活に追われていたら詩すら書けなくなる。ここでは短歌、俳句という短いものだから作りつづけている。なかなか長くなると書けなくなっているのだ。

このプログで困ったのはリンクされてくるのが外国のいかがわしいサイトでありこれが百くらいきている。コメントとトラッツバックは拒否する昨日があったし削除できたがリンクしてアクセスするのはできないから実質的なアクセス数とかがわからなくなっている。するとこのプログがどういう人に何に関心があり読まれているかもよくわからなくなる。認知症関係は読まれている。俳句短歌がどれだけ読まれているのか?訪問者がここ一週間100以上になっていてもその半分以上が外国の関係ないサイトからのリンクから宣伝から来ている。これを拒否しないと実質的アクセス数がわからなくなっている。ただ10から20ふえているのかもしれない、この外国からの宣伝のアクセスで実体がわかちなくなった。それが一番のこのプログの問題であった。本サイトはアクセス解析すると細かくわかったからアクセス状態をつかみやすかったからだ。


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