


新しき田町や柳芽吹くかな
紅梅のまじかに燃えて鯉跳ねる
木蓮の千輪満ちて天仰ぐ
茅葺きの仁宮仕法の家残りその前にあまたイヌフグリかな
相馬の田町通りは歩いたり自転車で走っても新しくなったので気持ちいい、なぜ街の中心街の商店街がだめになったかというと歩道とかが狭く歩きにくいし自転車でも通りにくいのだ。鹿島町でも前の町は歩道が狭く歩きにくいし自転車でも道路が狭く十字路から急に出ると自動車が危険なので裏道を回っている。原町の駅前通りとか旧市街がそうである。昔の街道沿いの街とかもどこでも道が狭く歩道が人一人くらいしか歩けないので歩くものと自転車では窮屈だしそれでも車がひんぱんに通るので危険でもあった。かえって裏の方が車が通らないので自転車で行きやすかったのである。結局旧街道沿いの街とかは車にも自転車にも歩きにも不便な窮屈な場所になってしまったからだめになったのだ。
田町というと相馬の城のある中心からは離れた田のある区画となるから田町となった。そんなに遠くはないのだが当時は離れていて田になっていたのである。相馬は城下町だから細い路地がある。街の作りが違っている。堀があってそこに鯉を放した。その鯉が跳ねた。紅梅が燃えるように咲いていた。それから木蓮の大木があることに驚いた。木蓮の木があんなに大きくなるものだとは思わなかった。あれだけ咲けば満足である。思わずこれだけやったと天を仰ぐような気分になる。相馬は城下町で古い家がありそれであの木もあんなに大きくなったのかもしれない、仁宮仕法の古い茅葺きの家も残っている。その前にイヌフグリがいっぱいさいて当時のようにその前の畑を耕す農夫がいた。相馬といっても城がないとなかなか当時を思い浮かばないがやはり街の作りは違うのである。二宮仕法の家とは二宮尊徳の教えを受けた人が復興させた模範の家である。あれは江戸時代から残っている茅葺きの家である。