2012年04月08日

団塊の世代-集団就職-金の卵の時代をふりかえる


団塊の世代-集団就職-金の卵の時代をふりかえる


一生貧乏
60代, 男性, 自営業

私は10歳で母親に捨てられました。(父親は私が3歳から肺結核の為に入院していて14歳の時に病死)兄嫁と母親が不仲で 10歳の時に出て行きました。1年に一回位日帰りで来るくらいです。当然兄嫁にいじめられて本当に辛い思いをしました。

ようやく中学校を卒業して、東京江東区清澄町の松本自動車という自動車修理工場に就職しました。これからが本当の地獄でした。仕事は住み込みです。最初の部屋は6畳間に二段ベッドが両脇に四つのところに7人住まわせられました。(工場の上に6畳間の部屋が3ツ有りましたが2ツの部屋は人に貸していました。)この状態が約半年です。仕事の時間は朝8時〜12時  午後は13時〜18時
残業は毎日19時〜23時 合計13時間毎日仕事です。

毎月の休みは5日と15日の2回だけです。それで給料は残業代も入れて1ヶ月1500円です。当時菓子パンが10円です。
休日と残業時間の食事は支給有りません。1500円は一週間の
食事代だけで消えました。
腹はいつでもぺこぺこです。お金が無くなると、コッペパンを3切りにして、1日分の食事です。後は水で我慢しました。
信じてもらえないかもしりませんが本当のことです。

半年後に1万円にしてくれましたが、それから入社してから、 18歳までにげだすまで変わりませんでした。(なぜすぐ逃げ出さなかったというかたもいるかもしれませんが、当時は15,6歳の田舎の子供です。無理です。)

その後遺症で17歳の時に顔に白癜という病気で顔の25%(皮膚が白くなる不治の病気です。)がこの病気の為に仕事は思うようにいかず、結婚も当然出来ませんでした。(気持ちが悪い、移されそうで怖いといわれました。)こんな辛い人生は何万人に何人いるんだろうかと思います。辛さは死ぬまで変わらないとと思います。
http://poor.life-taikenki.net/taikenki62.html



これも過酷な運命の下に生まれた人だった。老後というとき何が興味ある事になるかというとそれぞれの人生を読むことなのだ。こんな人生が送った人がいたのかと自分の人生と照らし合わせて比較すると興味深いのである。意外と隣に住んでいてもその人の人生がわからないのが現代である。
「秋深し隣は何をする人ぞ」なのが現代である。田舎でも隣近所は疎遠になっている。買い物だってすべてス-パ-だから小さい店は姿を消した。するとそれぞれの人生をなかなかしりえないのである。老後は何かをふりかえることであり思い出すことが仕事になる。本でも前に読んだものを読み返すと本当に理解することになる。新しい本は読みにくいし理解しにくい。そして本というものも積んどくが多く読んでいない、読んだと思っていたものも深く読んでいないし忘れているのだ。


この人の人生に興味をもったのは密接な身内でこれと同じような人生だったのを知ったからである。実にこの人の運命は過酷そのものだった。この人の恵まれていた点は東京で生活していたから金の卵のような集団就職をしていないことである。集団就職は15才くらいで親元を離れるのだからこれも過酷だったのである。自分は恵まれて勉強嫌いでも東京の私立大学に入れた。それもほとんど勉強はしなかった。もともと自分は今になると学問好きなことがわかった。いろいろなことに知的な興味が尽きない自分に気づいたのである。そして老後になるとむずかしい本でも理解できるようになった。

この人が何を言おうとしているのか本をぱらぱらとめくるとだいだい要旨がつかめる。古典でも深く理解できる。本でもそうだが他人の人生も見通せる、理解できる。若いときは人生にしても人間のことにしても社会についても五里霧中なのである。社会に翻弄されて生きるほかないのである。それで無駄なカルト宗教団体に入ったりといろいろ無駄が多すぎるのだ。


最初の部屋は6畳間に二段ベッドが両脇に四つのところに7人住まわせられました。


学生のとき町工場でアルバイトしていた。その時、集団就職したような人がそういう所だった。住環境は劣悪だったのだ。この人は食事も満足にできなかった。仕事は自動車修理工場というとき流れ作業ではなかった。自分がしたことは流れ作業が多かった。なぜ自分が仕事を嫌悪するようになり会社勤めを嫌ってそのまま幸運にも老後を迎えたのか、それはもともとの性格にもあった。学校という規則的な集団生活のときも適応できなかった。性格的に甘やかされたこともあった。自分は社会にも会社にも適応できない性格だった。だからまともに働いたのは20代前半だけである。それも流れ作業しかなかった。一日中機械でドリルで穴を空ける仕事とかであり嫌悪するようになったのはそのためである。何か創造的仕事があるなど考えようもなかった。仕事とはみんなそんなものかと思ってしまったのである。残業にしたって流れ作業になると本当に嫌になる。もう定時だけでうんざりしてしいるからだ。その後は全くこういうロボットのような仕事はまるで違って旅行に明け暮れたというのも恵まれていた結果だった。そんな仕事をしつづけたら生きることさえ嫌になったろう。


その後遺症で17歳の時に顔に白癜という病気で顔の25%(皮膚が白くなる不治の病気です)


身内の人も円形脱毛症になったからにていた。ストレスのためになったのだろう。集団就職した人は何かしらこういう苦労をししているだろう。でもその後それなりに自立して結婚して一家を構えて東京辺りで暮らし田舎には帰ってこない。不幸にも自分の身内は若くして交通事故で死んでしまった。その墓が原町にある。この人の人生とにていた。この頃集団就職の人生の人は苦労しているからそれなりの数がいた。この人は最初から不幸な星の下に生まれてしまったのである。ただいくら不幸でも集団就職しても今は高度成長期でありそれなりに自立生活している人も多いだろう。この人は結婚していないから家庭をもっていないから余計不幸を感じているのだ。ともかく人間の一生はいろいろある。団塊の世代こうして過去をふりかえる老後を迎えた。過去の苦労を語る時を迎えた。戦争時代は戦争のことを語りつづけて死んだ。団塊の世代を何を語るのか?たいして語ることもないのか?恵まれた時代だから語ることもないのか、集団就職したような人は語ることがあるだろう。一人一人の人生はみな違っている。一人一人の人生も実は郷土史の一こまである。それら一人一人の人生はすでに歴史となっているのだ。同じ世代でもそんな人生があったのかと驚くことがあるだろう。それは後世への教訓である。失敗の体験も後世の若い人への教訓である。自分が失敗したことと同じ様なことをしている人もいるからだ。


人間は他者を知るというとき自分の体験を基にしているのだ。だから自分が体験しないことはいくら聞いてもリアリティが伝わらない、戦争などあれほど悲惨なものでも戦争の体験をしていないからなかなか理解できないのである。自分は現実に下町の油臭い町工場でアルバイトしたから集団就職の人たちのこともそこからイメ-ジされた。しかしそれもしない人はわからない、アルバイトでも出版社とかでして興味を覚えてそこに就職したという人もいる。アルバイトでもやはり流れ作業でない仕事をして興味をもてばそういう仕事あるのかと就職しようとするだろう。ただそういうアルバイトはみんながなれるわけではない、底辺の大学ではなれなかったということがある。家庭教師にだってやはり底辺大学では無理である。結局自分はそんな油臭い、下町の流れ作業の工場などで働いたのは一時期にすぎない、あとは風のように自由に生きて今日に至ったのである。だから自分には会社も工場もなにもない、ただ自然の自由の風吹いている。心の中でも吹いている。それでそれを俳句や短歌や詩にしているのだ。こういうふうに自由に生きられたということ自体奇跡的なことかもしれない、他の人は営々と働いて会社勤めだったからである。


500坪程の工場は組立工場、機械工場、鉄板の切断・溶接工場となっていた。作業場ではこれからお世話になるであろう先輩たちが、裸電球の下でヤスリをかけ、装置を組み立て、油で真っ黒になって機械加工の仕事をしていた
http://www.takemori.co.jp/omoide.htm


この人は天草の農家の貧乏生活より食い物もいいし良かった書いてある。この人は仕事ができるので優遇されたのかもしれない、個々に事情が違ってくる。東京はその頃田舎とは全く違っていた。この人は東京だったが食べ物を違っていたし生活は金があれば豊かなものになっていた。この人は雇い主からの待遇が良かったのである。九州の田舎より東京の方がいい暮らしができると実感した。それなりに苦労したにしろ自分の会社をもつまでになった。集団就職でもこういう人もかなりいた。
経済が今とは違い右肩上がりの高度成長時代だから独立もできたのである。


裸電球の下でヤスリをかけ・・・・・


この時は裸電球であった。最近昔のテレビドラマを見ている。サスペンスなのだが昔と今の光景がどこが変わったのかというと映像を見ても30年前でも40年前でもさほど変わらない、変わったのは道具だった。裸電球のあるところで取り調べをしていた。車をみると旧式の型のものが多い。それでも普通に車走っているのでさほど今と変わらないように見える。40年前とか学生で車をもっていた人がいた。その人は恵まれていたのだ。まだまだ車は普及していない、ただその辺から急速に普及していった。携帯のないときは公衆電話を良く使っていた。刑事も連絡に公衆電話や家の電話を使っていた。コンピュ-タ-で仕事している人がいたけど20年前くらいでもコンピュ-タ-はあり仕事していた。ただそのコンピュ-タ-が大きな古いものであった。そこだけが今と明確に違っていたのだ。他の様子はテレビの画面からはわかりにくい、これを見ると人間の社会は変わったというとき道具が変わったというのが一番わかりやすい。なぜなら江戸時代には鉄道もない車もない、電話もないとかそうしたいろいろな道具がないことが一番違ったことなのでなである。人間そのものはそんなに変わらないということもある。


昭和は遠く成りにけり ・・・


64才の俳優が死んだ・・・60代でも俳優など結構死んでる、時代はすぐに変わる、昭和から平成、昭和も遠くなるということがまじかに迫っている。自分も70くらいで死ぬんじゃないかという不安がある。ただ癌ではなかったからその点は救いだ。普通に暮らせるから病気という感じもしない、酒とか煙草は30代でやめた。70くらいで死ぬのがいいとか思ったりするが作品を完成するにはいくら生きても完成しないだろう。いづれにしろ老後になるとそれぞれの人生も興味深いものとなる。なぜなら人間や人生を深くみる、理解できるからそうなる。そして人間の心は変わらないから人間はしょうこりもなく同じ犯罪、業をくりかえす、カルマをくりかえす、それはインド人が言ったことと同じである。職業が業としたとき原発事故だって一つの人間の業として開発があり事故につながっていたのである。人間の業(カルマ)はとめることができないからそうなるのだ。

posted by 老鶯 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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