2012年04月06日

冬の鳥(終わらない介護・・・)


冬の鳥(終わらない介護・・・)

冬の鳥遠くに飛べず介護かな


墓の間に黒猫消える春の町


冬の鳥いまだ帰らず寒き年介護をしつつ今日も暮れにき


ラ-メンを一つ作るに苦労かな冬の日あわれ男の介護


津浪にて今年は萌えぬ川岸の猫柳またいつの日萌えむ


買い物に仮設の商店なじめるや木々の芽吹きて春のめぐりぬ


町の辻梅の香るや店なきもその香りにそ心いやさる


同じ墓所世話になりにしその女(ヒト)の墓に参りぬ春の彼岸に



今年は寒いから冬の鳥、ツグミが帰らない、これは高く飛ばない、地中の餌を漁っているのだろうか?雑食性だから柿の実なども食べる。今年は柿は人が放射能に汚染されているから食べないからとられずままにあったから鳥にとっては餌が多かった。鳥にはさほど影響しないのだろう。放射能は人間のような複雑な機能をもつものに影響しやすいとあったからだ。だから別に鳥がいなくなるということはないし虫もいなくなることはない、川にも魚でも餌があるから水鳥がきている。ただ田畑は荒地になっている。


介護はやはり料理できないとうまくできない、料理は買ってばかりではうまいものが食べられない、どうししても自分で料理二つでも三つでも覚える必要があるのだ。野菜をうまく利用するのがコツみたいだ。こまかく刻んだニンジンなどでも玉子焼きなどに入れるといいのかも、白菜でも油であげると臭みを消す。そして一種類だけでは料理にはならない、魚をだしたらやはり必ず野菜を少しだすのがいい。そういう取り合わせが料理だった。料理はインスタントのラ-メンを買ってもめんどうだった。煮てからラ-メンの麺を洗い出して入れたりあと洗うのがめんどうだった。インスタントとしていいのができているのだがそれでも手間がかかっているのだ。自分は本当に恵まれていた。いつも料理は当たり前のように出ていた。それを何とも思わなかった。しかし今になるとそのことがいかに恵まれていたかつくづく思う。ただ一人今や家事すべてをやることは大変なのである。だから下男と同じなのである。ここに自分の病気が加わったからさらに大変だとなる。


仮設ができてからすでに一年以上すぎた。すると多少はなじんできた。仮設商店はバイキング形式の惣菜屋や安いラ-メンや豚どんなどの食堂は人気ある。そういうものがなかったからいい。となるとそういう店がいつまでもあってほしいとなる。何か役に立てばその町にとって必要なものとなる。でも補償金だけをもらっていたら歓迎されないだろう。一人二人なら別にかまわないけど人が多すぎるからだ。でもあと二週間くらいで小高区は警戒区域が解除になるから出入りができる。すると帰る準備をする人もいる。でもすぐには帰れない、インフラが破壊されたからである。すると三年くらいはかなりの人が仮設に残る。それはそれなりに長いのかもしれない、そのままここにいつく人も出てくるのか?そういうこともありうる。ずっと補償されればそれでいいという人たちはいる。


川の猫柳は津浪で流されなくなった。猫柳をいつもとってきたのが姉だった。その姉が認知症になったとき受け入れてくれたのが近くの死んだ女だった。認知症になったりすると親しかった人もよりつかなくなる。認知症でなくても病気になったりすると人はよりつかなくなる。どんなに世話しても来ないとか嘆いた人が病院にいたからどこも同じなのだろう。津浪や放射能汚染でも当事者でない人はかえって面白がっている人たちがいる。人間はつくづくそういうものなのだ。自分の身に不幸がふりかからないかぎりその不幸のことを思わないのだ。他人事なのである。認知症なんか差別されたりもした。知的障害者だからそうなる。ただ知的障害者でも生まれつきとは違う、いろいろ世話したり貢献した人だから粗末にできない、ただたいした世話もしなくてもその女(ヒト)はかわいそうだなと相手にしてくれたのである。

同じ墓所というとき、やはりともに供養したいというものが生まれといい。ただの他人が寄り集まっても墓すら共同の場所とはなりにくい、ただ

現代はそうした共同が作りにくい、田舎の農家の部落辺りだとそういうことは作りやすい。共同はともに働く協働から生まれる。だから農家では協働が共同になりやすかったのである。そこではあまり競争はしない、街だと商店などは競争するから協働ともなりにくい面はあった。つまり田舎でもザイとマチでは違っているのだ。マチは連帯が共同が希薄なのである。ただ一面協働のしきたりに縛られない面はある。

墓には猫があっている。忍び足で墓の間を歩いて消えてゆく。死んだ人の霊を背負っているように歩いて音もなく消える。黒猫がさらに墓にはあっていた。
田舎でも何もないけど書くことはある。原町区辺りだと街中に梅が咲き匂うということはないがこの辺で街中に畑があるから梅がある。ただ畑は耕されていないから淋しい。

 


山の際(ま)に 雪は降りつつ、しかすがに
       この河楊(かはやぎ)は 萌えにけるかも
            万葉集10−1848    詠み人しらず


河楊(かはやぎ)は猫柳のことだった。この歌はこの辺の気候を象徴していた。なぜなら山の際(ま)に 雪は降りつつ、しかすがに ・・というとき山の際とは飯館村の方であり海の方はあたたかく山の方は寒い、雪もふるし雪も残っている。河楊(かはやぎ)が萌えるのは海に近い平地なのである。
河楊(かはやぎ)とあるごとく猫柳は河に生えるものだったのである。その猫柳が見つけられないことは淋しい。しかし上流の方であるかもしれないから探してみよう。

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