2012年03月01日

津浪で流された家の跡に残っている二本の木の不思議 (春の日に金沢や烏崎をめぐる)


津浪で流された家の跡に残っている二本の木の不思議

(春の日に金沢や烏崎をめぐる)


odakakousha.jpg
小高工業のプレハブ校舎

ichyoumatuuuu111111.jpg
一葉松

nihonn3333.jpg

karasuminato12.jpg


matunihonnn222.jpg
港の松
twinedtree111.jpg



公園に三本の木春日さす


街離れ一葉松や残る雪


春の日や勢いよくも鵜の飛べり


人はなし港の跡に春の鴨


春の日や港の跡に松二本


二本の木の残るかな家の跡人は帰らじ春となるとも


どういうわけか津浪の跡をめぐると必ず家の跡に二本の木がある。対になったように二本の木が残っている。一本ではなく二本なことが不思議なのだ。松も一本のところがあるが二本が対になって残っているのがある。そしてその木や松はあの脅威の津浪のことを語っているようだ。生き残ったものとして語っている。つまり生き残った松は貴重なのである。戦友のように生き残っている。
高田の松原の松はついに一本残った松も枯れる。全滅してしまったのである。その凄まじさは言葉にならない。ともかく庭とか家の回りにあった木なども自然の木とは違っていたのである。
それは人間化した木や松だった。ペットもほとんど人間と同じだから介護までしてその施設まである。野生の動物とは違う、人間化した動物である。庭の石だって人間化した石である。だから突然家も家の人もいなくなって唖然としている。それにしてもなぜ二本の木なのだろうか?偶然とも思えない、何か夫婦のような感じもする。だから二本なのか?

鹿島区烏崎の港は全滅した。一軒の家も残らなかった。それなりに船もあり魚もとれた。津浪を記念したという津神社も跡形もない、ただ今は鴨が港に浮かんでいる。鵜が何匹か勢いよく陸地の方に飛んで行った。廃墟と化した港に鴨が浮かんでいる風景も不思議である。季節はめぐって春となったが荒寥とした風景は変わらない、烏崎の港などは復興するのか?公園のようになってしまうのだろうか?とても住民が前のように帰って住み漁業をするというわけにはいかないだろう。松川浦辺りは漁船の数が多いからいづれ漁をはじめるかもしれない、それも原発事故の影響で先が長い、それでも二十軒の旅館が半分がはじめたということはそれだけまだ家があそこは残っていたのである。

原町の六号線のゴルフ場に小高工業高校のプレハブ校舎が建った。今日は卒業式でばらばらにしていた。今度はここに集るのだろう。小高は警戒区域でもさほど放射線量が高くないのだから帰れると思うけどどうなっているのか?仮設に住めるのは二年である。仮設に住んでいてもその回りの地元の人には迷惑だという面もある。その一番の要因が働かずに遊んでいる、パチンコやサウナに昼間から行って遊んでいるというふうに見られることなのだ。回りの人は普通は働いているからそういわれる。働かない限りまた地元に定着するということはない、そういう落ち着かない状態を仮設は作り出している。だから肯定的に見られないのである。

今日はあたたかかったから金沢から烏崎と回ってきた。あたたかくなると遠くまで行ける、でもなんかあと疲れる。


 

posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54249075
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック