2012年02月24日

春の日(原町へ-黒い土はそれほど問題ないのかも)


春の日(原町へ-黒い土はそれほど問題ないのかも)


原町にはや鳴きそむ雲雀かな


春日さし隣の木に移る影


誰か住む山陰の道春の雲


春の日や遅き歩みに帰る道


原町というとき相馬市に行くのとは違う、原町には何か新しい街のひびきがあるし現実そうだった。明治になってから相馬市より原町市が一早く近代化したのである。原町機関区があることがその証明である。その鉄道も閉ざされた。20キロの立入禁止区のすぐそばにある自分の家をのぞいていた人がいた。すぐそこに自分の家があるのに帰れないのも理不尽である。今日はNHKで小高区の人が秋田に避難して帰りたいが帰れないとなげていた。相馬市の仮設住宅には入るが仕事は渡部病院で3月まで復帰を迫られている。病院や他も働き手がなくて困っている。パチンコ屋が繁盛してここも人手不足である。あらゆるところが人手不足になっているのだ。この辺ではこうなると働く人が貴重なのである。もちろん医者や看護師不足は一番問題である。病院だけではない働く人がいないことはあらゆることに影響してくるのだ。

一方で仮設で働かずにいる人も相当数いる。補償金もらっているから働かないという人も多い、これもこの辺では矛盾しているのだ。人間は迫られないと働かないという人もかなりでてくる。それだけ仕事をしたいという人は少ない、だからだらだらなまけてパチンコ屋通いとかになり生活保護で遊んでいた方がいいとかなる人もでてくる。それで外からそれも非難される。秋田に避難した人も双葉や浪江とかの人と一緒に仕事していた。そういう人がこの辺では多いかもしれない、浪江は二万にもいたからその影響は大きい。双葉町だと娘がいると双葉町では結婚とかで問題なるとかそんな心配までするようになる。いづれにしろ仮設でぶらぶらしているのは普通ではない、そこからの脱出がこれからの問題になる。


話題になった黒い土は苔だったらしい、苔を近くで計ったら2マイクロシ-ベルトくらいになっていた。道路は0・1-0・2だったから高いと思った。苔の下は黒い土である。黒い土は他にもある。落葉の下も黒い土である。苔が乾燥して黒い土がむきだしになったのかもしれない、事故のあった原発から飛んできたものだったら大変だった。樋の下の泥も10マイクロシ-ベルトあった。苔や泥にはそもそもたまりやすいのである。それから原町区の山際の大原では道路は3マイクロシ-ベルトであり草むらは倍くらいになっていた。草むらもたまりやすいのである。3マイクロシ-ベルトくらいだったらそれほど問題ないかもしれない、それより大原などはそれだけ高いのだから市街と比べものにならない。だから子供のいる所帯などは避難して老人だけしか残っていない。黒い土はそれほど問題なものではなかったかもしれない、苔や草むらや落葉の下の土はどこも高いからである。


ともかく今日は春だった。原町区は合併するとき雲雀市にしようとか名前があがった。でも南相馬市になった。雲雀市があわないということでもなかった。野馬追いの祭りの行われる雲雀が原もあるし近代化した街としてもふさわしい名前だったかもしれない、ただ歴史にこだわれば南相馬市だったのである。原町は雲雀とかひまわりかにあっている街だった。街にもどこでもそれなりの雰囲気がある。外からちょっと来ただけではわかりにくい場合がある。何か特別特徴がないとわかりにくい、今はそうした特徴がない街が多いから余計わかりにく、いづれにしろこの辺は個性を活かした街作りをするといってもこんな状態ではできない、放射能と関連した街作りになってしまうのである。

山陰の道を帰ってきた、春だからのんびりする。こういうときは自転車がいい、原町は買い物でどうしても行くことが多い。今は飯館辺りでも

福島市に住んだりしたらそっちが便利でいいとかなっている人もそれなりにいるかもしれない、広々とした所でも街に住んでみれば街がいいとなる人もでてくる。ただ団地のようなマンション住まいはいやだとはなる。二つに分かれ村は分断されてみんなが村に帰ることはむずかしくなってくるかもしれない、それは自分の住んでいる場所にも相当影響する。

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