2012年02月05日

枯木に月-冬の草 (田舎には田舎らしい生活があるべきだった)


枯木に月-冬の草

(田舎には田舎らしい生活があるべきだった)



枯木に月塒(ねぐら)に帰る烏かな


この橋の名はいかなれや冬の月


街道の松の太しや冬の月


家ひそか裏道帰る冬の月


故郷の来慣れし道や冬の草

昨日は原町のイオンの方に買いものに行ったら月がでていた。あそこに川があり橋がかかっている。なぜまたあそこに趣を巻したかというとやはり買い物というのが一つの生活の中でかかせないしそれが仕事になっているからである。ただ不思議なのは裏道というとき今はどこが表通りなのか?
駅前通りとかはシャッタ-通りで表通りではない、表があるから裏がある。今は表というとき六号線の方になってしまう。

俳句は写生であることも自分でまたつくづく感じた。枯木があった、月がでていた、烏がこの時は三羽塒に帰ってゆく、その時その情景にしんみりとしたものを即座には言い現せないものを感じた。
人間は自然をみてすべて即座には言い表せない、感じるものがあっても言葉にならないものがある。ただ枯木に月-烏が帰る夕べ-そういう事実の情景そのものが深いものを現している。つまゃ写生したものがそのまま深い意味を現しているのだ。その写生の情景を読むのは各自違っている。


相馬市では小泉橋を渡るとき情緒を感じた。ここの橋はちょっと大きいけどやはり長い橋ではない。日本ではこういう小さい橋に情緒を感じる。大きい橋には情緒感じない。小さい橋は日常に密着しているからだろう。ただここを車で通るとそうした情緒は感じなくなる。それでこの橋は名前は何なのだろうかと思う。橋の名が気になる。植松辺りの街道の松は太い、松らしい松である。でも街道も江戸まで通じているから街道なのである。それが途中で途切れてしまったから今は街道とは言えなくなっいる。この辺では常にそういう問題が生じてくる。


冬の草というとき田舎にあっていた。冬の草は都会ではないだろう。やはり俳句は田舎でないといいのは作れない、だから田舎では田んぼがあるのが普通である。その田んぼが去年は放置され今年はどうなるのか?田んぼがないということは農家の人でないにしろ田舎に住んでいれば密接に関係している。田んぼないと不安になる。情緒も安定しないのである。ところが東京であれ都会だと田んぼのない世界に生きている人が今は多数である。その人たちは田んぼを意識しないのだ。だから意識的に相当違うものをもっている。江戸時代でも貿易だけで技術だけで生きている人たち住んでいる人はいた。しかしたいがいまわりは田んぼだから田んぼを意識していたのだ。大阪の農人橋とかなると農民が大阪の商業地の中に組み込まれててしまい農民がそうした商業地から田畑のある所へ橋を渡って仕事にゆくからそんな名がついた。これは小さい町でも町はあとから発展したのでありその中に農家がるから特別なことではない。


そもそも田舎と都会は違ったものだった。田舎には田舎らしい生活があるべきだった。戦前までは田舎は田舎らしい生活をしていた。自給自足的生活をししていた。それがあまりにも変わりすぎたのである。田舎の方が今では都会より贅沢をしている。車は一人一台もっている。田舎は田舎らしくあるべきというとき都会のように華美にはなれないとか、贅沢はできないとかになる。でもみんな都会並の豊かさを望んだ。貧しさがいやだというのはわかる。でも都会と田舎は違っている。田舎は田舎らしいとき田舎でありえた。ただ田舎が田舎らしくありえなくなったのはすべて田舎の人の責任ではない、原材料がすべて外国になったときいろいろな変化が大きすぎたからである。ただ都会と田舎は違う、田舎には田舎の生活があるという田舎の人に自覚が失われた。多少貧しくても田舎には田舎の良さがあるとかにはならなかった。どんなことしても豊になるのだということが原発をもたらしたともいえる。

冬の草のように質素でもいい、それが田舎のいいところだとかはならなかった。

田舎は多少貧しくても自然があり質素で質朴でいい、それが都会と違っていいところなのだとはならなかった。田舎の人ほど豊になりたいという欲望、渇望が強かったという面もあった。だから田舎でも今やすべて金だけを追求する結果となったのである。田舎では別に茶の湯、茶道など学ぶ必要もないし金かける必要もない、わび、さび、の世界は日常的な生活にあるのだから別にそうした場をあえて作る必要もないのである。生活そのものが風流になっているからだ。都会ではかえってそうした場を人工的につくらざるをえない、でも作り得ないのである。だから一面千利休が豪商達の住んだ堺から生まれたというのは逆説である。都会的になるとあえてそういうわび、さびの場を人工的に作る必要が生まれたからである。


とにかく今回の原発事故では故郷を喪失して離れ住む多数の人を生んだから故郷とは何だろうとあらためて考えさせられることが多かった。普通は故郷に住めるのが当たり前だからそんなこと考えない、故郷に住むということが別に知識人でなくても農民ですら考えるようになったのである。

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