2012年02月03日

啄木の望郷の歌は怨念化していた (原発事故で故郷から離れた人たちの無念と重なる心境)

 
啄木の望郷の歌は怨念化していた


(原発事故で故郷から離れた人たちの無念と重なる心境)

やまひある獣のごとき 
わがこころ 
ふるさとのこと聞けばおとなし


やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
 
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし


啄木の望郷の歌は何か怨念のようなっている。何か感傷的なものを越えて怨念化したような凄味がある。肺病で血を吐き出すようにして歌ったからである。現実に二七才という若さで死んでいる。ただその時啄木だけではない、肺病で若くして死んだ人は多いから国民病と恐れられていた。
自分の母の実家の墓にも亭年二七才と記されて肺病で死んだ人が埋められている。墓参りするときその年齢に着目する。するとそこから何か無念というか怨念というかもっと生きたいという切実な声が聞こえてくるのだ。


二七才の死の無念や故郷の墓に刻みて変わらざるかも


啄木の望郷の歌はもし長生きしていたらこれほど凄まじいものとはなっていなかった。若くして死に故郷に帰れないということが切実となったのである。神社は怨霊を鎮めるために建てられたというのもあながち否定はできないだろう。菅原道真の神社が多いのはそのためだというのもわかる。
ただ有名な人だけではない、怨念をもって死んだ人は無数にいる。そもそも六〇年前とかの戦争で四百万人も死んだことが今になると信じられない、それらは無念の死でありそれ故に靖国神社に祀り鎮める。それも怨霊化することを恐れ靖国神社がある。人間の念は実際に凄まじいものがある。恨みの念はそれほど強いのである。だから非業の死をとげた人たちの霊は祟るとか恐れのもわかる。だから靖国神社でも祟らないように鎮めの場所としてある。無駄な死だったとしてかたづけられないから靖国神社がある。


やまひある獣のごとき 
わがこころ 
ふるさとのこと聞けばおとなし


これは故郷を思う動物的本能である。鮭が生まれた所の川に帰って産卵して死んでゆく、そういう本能的凄まじさである。望郷の念はそれほど強いとなる。その時東京と田舎は交通の便がまだ悪く離れていた。新幹線で簡単に行ける場所ではなかったのだ。故郷に住んでいる人は故郷が恋しいなどと思わない、むしろ故郷を離れたいという意識が強い、自分もそうだった。故郷から離れたいから東京の大学に行ったし旅ばかりしたのもそもそも故郷から離れたいからであった。若いときはそういう意識が普通である。でも啄木のように故郷に病気で帰れない、もう死んでゆくとなると望郷の念は切実となったのである。その歌は感傷的に鑑賞できるものではない、強い生の渇望の怨念がこもった歌となっていた。


やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに


それほどまで北上川のことが目に浮かんだ。「泣けとごとくに・・」という表現が凄まじいのである。それは怨念化している歌である。その次の


石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし


原発の事故に故郷追われたる
    無念は忘れじたとえ死ぬとも


これは故郷では別にそういうことはなかったが啄木の勝手でそう思ったにしろやはり菅原道真などと同じ様に怨念化していたのだ。原発の事故で故郷を追われた人もそうである。誰を恨んだらいいのか、東電をまず恨むことは確かである。人間の怨念はもしかしたら放射能より怖いかもしれない。人間の怨念はそれだけ強烈なのである。その怨念というか悪い念が自然にも作用して自然災害が起きてくる。今回もその津波の原因が人間のそうした怨念など悪い念が集積して自然界に作用して大災害になった。そういうこともありうるのかと思うほど人間の怨念は凄まじいし強いのである。「泣けとごとくに・・」とは凄まじく怨念化した歌である。感傷的な領域を越えている。東京という自然が少ない所であったことも影響している。別にもし自然があるところだったらこんなに望郷の念が強くならなかったかもしれない、例えば富士山が見えるような所だったらかえって最後の場所としてふさわしい。故郷から離れても富士山が見えるということは日本人にとって最高である。自分も最後に見たいものは何かと思ったら富士山だった。富士山を見て死にたいと思った。だから病院は他の人も言っているが景色のいいところにあるのがいい。なぜなら病院で死ぬ人が八割とか多くなった。すると最後に目にする光景は美しいものであってほしいとなるからだ。

何か穴蔵のような無機的な病院だといやだとなるのだ。いづれにしろ啄木の望郷の歌はあまりにも凄まじいから怨念化している。単に言葉というよりその歌が呪詛のようにもなる。その言葉から熱い血が流れてだしてくる。天才だからそれだけ情念が強いためだということもいえる。ただ人間はどんな人でもかなえられないものがありそれが怨念化する。啄木の歌は望郷という感傷的なものではなく怨念化した望郷だった。この辺で故郷に住めなくなった人たちも怨念化したりするのか?そういうこともありうる。


遙か彼方は 相馬の空かよ なんだこらよ〜と
          相馬 恋しや 懐かしや なんだこらよ〜と


  民謡「新相馬節」です。 私は相馬の生まれですが、数々ある民謡も田舎のお年寄りの唄かと、大した愛着もなく生きてきました。
  ですが、先月、この民謡が思いもかけずテレビから流れ、胸をぎゅっと掴まれました。

  隣の南相馬市から、福島第1原発事故による避難指示で、いま埼玉の施設(学校だったか)に移った高齢者たちが、涙ながらに歌っているのでした。
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/xaS0Ezh1byW6OKentC4g/


やはりこういうことあった。ただ相馬といっても城のあった相馬市とか南相馬市ではない、双葉郡の人たちだった。そこも相馬藩内であった。相馬と磐城の境にあった地域である。高齢者だと望郷の念は切実になる。土地もあり家もありそこで一生過ごしたからである。それは啄木の望郷とは違っている。故郷に生きたものと故郷に帰れず生きられなかったものの違いがある。ともかく生きたんだからいいとしろともされるが故郷で生きてきたんだから最後を故郷で全うしたいというのは人情である。

かにかくに渋民村は恋しかりおもいでの山おもいでの川


おもいでの山、おもいでの川がありそこにもどり死にたいとなる。浪江は二つの川があったから川に恵まれていた。高瀬川渓谷もあった。浪江に帰れない人もでてくるのだろうか?東京の方の団地のような所に移った人は望郷の念が啄木のように強くなることは確かである。会津の方でも雪に悩まされるからいやだとなるが会津だと自然はあるからまた違ってくるだろう。ともかく故郷自体を失ってしまうことなど想像したこともないだろうしそういうことを過去に経験し市町村もなかったのではないか?ダムに沈んだ移り住んで過去をなつかしみ村の人が集るということは報道されていた。でも今回は規模が大きいのである。浪江でも二万人いたのである。それだけの規模の町村が喪失することは経験しないことだったのである。

posted by 老鶯 at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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