デジカメの写真がそのまま抽象画になっていた
(タ-ナ-の絵は最後に抽象画になった)
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上の写真がなんかの加減で下の抽象画になった
前のぼけた夕べの太陽が川面に写った写真がどういうわけかおそらく抽象画になった。
白いのは太陽の光である。抽象画にあえて意味を見いだせば白いのは光でありまた雪でもいいだろう。それに枯葦であれ冬の大地であれ土色になる。
タ-ナ-の絵が最後に抽象画になってしまった、タ-ナ-は抽象画の先駆だった。最近絵が描けなくても絵に興味持つようになった。多少自分でもパソコンで抽象画を描いているかもしれないしやはりデジカメの影響が大きい。写真は明かに一つの絵となりうる。絵を描けなくても写真で絵を楽しめるということがある。絵を身近なものにしたのがデジカメだった。写真は前からそうだったがデジカメだとやはり無作為にとったもので発見したものがかなりある。ええ、こんなふうにとれていたのかとあらためて感心するのがある。この景色がいいとか構図を作って準備してとるのではない、偶然にとれているのがデジカメの写真なのである。
白い線と土色はやはり何かの精神的なものの抽象化である。ただ抽象画を鑑賞するのはむずかしい、どこに価値があるかわかりにくい、自分でも白い線と土色というので自分でこれは何か芸術的でないかと再確認して出してみたのである。
枯葦(老いて故郷を想う)
http://musubu.sblo.jp/article/53415256.html
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