2012年02月01日

冬の月(夜に相馬市の病院に)


冬の月(夜に相馬市の病院に)

鹿島から相馬の駅や冬の月


城下町心一つに冬の月


良き医者の地元にあれや冬の月


今日は八時ころまた病院に行った。たいしことではないけど苦しくなるから困る。それでも電車が通るようになり安心になった。緊急の場合に困るのだ。大雪で栄村で九二才の人が話していたけど何か緊急の病気なると困ると心配していた。それなんだよ、一番困るのは、それにしても九二才で雪かきしていたり良くやっているよ、でも一人だから最後は限界が来る。まさに限界集落なんだよ、テレビで在宅で看取れるように援助しなければならないとサ-ビスをはじめた自治体があるけど二つの要因が重なった。一つはもう病院でめんどうみきれない、金がかかりすぎる、それも限界に来ている。
もう一つは自宅最後を迎えた方が本人にとって幸福だということみんな考えるようになった。
実際に直らないにしても改善することがあったというのはわかる。

隣で料理をしているなど生活の音が聞こえることは病院とは違う。日常の生活空間にいて最後を迎えるのである。ただそれをするとなると家族だけでは大変になる。八〇才くらいの夫婦でどちからか介護している人も大変である。もちろん一人暮らしはさらに大変である。高齢化でそういう人が増えてくるのである。だから広い地域は在宅で介護する人の家を回って歩くだけで手間がかかりすぎるのだ。時間がかかりすぎる。だからコンパクトシティとして一カ所に老人で集まっていれば楽である。
自給自足の生活でそれであとは医療サ-ビスなど受けないで死ぬという時代ならいいが誰かが世話するとなるとその手間が大変である。世話する方になるとコンパクトシティの方がいいとなる。
第一この辺の問題は福祉どころではない、若者が流出するとか老人を世話する人がいなくなる。
福祉ではもう他の都市によりまともなサ-ビスは受けられない、それだけの余裕がなくなった。


夜の緊急医療だと今は金が相当とられる。五〇〇〇円はとられた。それだけいろいろと医療も金のかかる時代であり保険だけではまかなえきれない時代になった。だからある程度重篤な病気になったら死を覚悟して早めに死ぬ方法を選ぶ他なくなる。今までのような手厚い看護は限界に来ている。
ある程度もう死期がきたらあきらめて自ら選択する時代がくるのだろう。でも六〇代で死ぬのは今では早すぎる。七〇以上になるとあきらめるという選択もでてくる。介護する家族がいない人はそうしてもらった方がいいだろう。

ともかく医者はいろいろであり今回の医者もこうしたらいいのではないかとアドバイスししてくれた。そういうこともできるのかと思った。医者はみんな違うことを言う、だから一人のお医者さんだけにみてもらっているとどうしていいのかわからなくなる。そういうことができるのならしてみたいと言っても指導を受けねばならないしみんなできるわけではない。いい医者がいる地域は得している。

栄村の秋山郷は秋山紀行で有名であった。その本を読んでいたので栄村が秋山郷だったのかと知った。秋山郷は秋山紀行が残ったので興味をもつ人がいるだろう。当時の山の生活がわかる。米はあまり食べていない、粟が多い。粟は米同様に食べられていたのだ。仙台藩で米を作るために津波が来た土地まで開拓しようとしたのは米がその土地で食べるより江戸に運んで売るためだった。商品として生産していたのである。三分の一が仙台の米だったということには驚く。スペインとの貿易をもくろんだのも津波が来て一か月後というから驚く。それだけのことを津波の災害のすぐあとに目論んだことに驚く。それは津波の被害にもめげず民衆に夢をもたせるためだったとか解説していた。こういうことができるのはやはり別に民衆の合意とか議員の合意で決める必要もない、藩主の独断でできるからこそ実行された。君主制ならそういうことができる。今なら必ず何でそんなところに金を使うのだと民衆自体も反対するからできなくなる。そんなこと無駄だ、もっと津波の被害にあった人たちのことを考えろとなるからだ。現代は何にしろ心一つになりにくい、今日はともかく冬の月が輝いていた。寒いから冬の月がさえていた。

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