2006年03月31日

春寒し(遠い記憶−認知症の語り)

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長塚駅遠き記憶に消えにけり老いてあわれも春寒しかも

常磐線の福島県内の長塚駅は消えてなくなった。戦後10年後くらいまで双葉駅は長塚駅だった。なぜ長塚駅がわかったかというとここに自分の父親がここの酒屋に勤めていて鹿島町に移り酒屋を始めたからである。暖簾分けをしたわけである。そこには一年くらい住んでいたことがありそこのことを語ったからわかったのだ。長塚駅におりて酒屋に行ったのである。昔は長塚村と新山村があり双葉町はなかった。のちに新山村が新山町となったのだ。その酒屋の近くに銀行がありそこで子供だから遊んでいた話をした。銀行というのも当時ではめずらしいものだったのだ。ここでわかることは長塚村と新山村は江戸時代からあった古い村であり双葉町はそのあと合併した名前である。江戸時代からつづく村が古いから郷土史では古い方が大事でありそこを基点に歴史を考察する必要があるのだ。

認知症でも昔は生々しく語るから古い歴史がよみがえってくることがあるのだ。奇妙なのはやたら古い証文とか役に立たないのをサイフとか引き出しに入れておき肝心の今使っている通帳とか証書をなくしてしまうのである。整理できないから古いものと新しい物とかごちゃごちゃになるのだ。関係ないもの、ちり紙のなかに証書だとか使われなくなった銀行の契約書とか入れておく、新しい物と古いものの区別がつかないのか奇妙である。それでいて世間話とか通じているのも不思議である。認知症ほど奇妙な病気はない、忘れるにしても普通に忘れるとは違う、昨日食べたものを今日は忘れているのだ。同じ物を食っているのだが初めて食っていると同じになる。ではサシミを昨日買ったのにそれを忘れてまた買ったりする。サシミを食ったことを忘れている。ではサシミの味を忘れているのだろうか?長年食ってきたのだから忘れるはずがないのだ。ただ新しい食べ物はその味を昨日食っても今日は忘れているのだ。そしたらいくら食べても覚えがない?それはどういうことなのだすうとなる。認知症の人が認知症がどんなことか語れない、だから理解しにくいのである。記憶できなくなるということが他者には理解しがたいことだからだ。

いづれにしろ古い記憶は重く沈殿したように残されている。だから何度も百回も語っているのだ。認知症の老人の話にはこうした過去が生々しくよみがえることがありこれは生きた人間の証しでもある。生き証人が語る昔が歴史がよみがえることがある。歴史は教科書とかメデアで学ぶものではない、人間が直接伝えたものである。村には語り部がいて伝えたのが歴史の始まりなのだ。認知症の人がなんにも用のないバカではない、何かそこからも引き出す後の世のためになるものが残せるのだ。ただ若い人が耳を傾けないだけなのである。

プログについては調べることもできなくなったのでわからないことが多い、外国の人が自分のプログを英語翻訳で読んでいた。結構翻訳ソフトも正確さをましているから大要はわかるのかもしれない、日本語→英語となるとむずかしいがそれなりに訳されているのかもしれない、これはもっと正確さをましくる。ただトラックバックというのがいまだにわからない、今もトラックバックスパムなのか外国からかなりきている。これには何か異常を感じている。そこからウィルスが入ってきたような気がしたのでトラックバックは拒否しているがトラックバックされているのか?インタ−ネットとかプログの仕組みはわかりにくい。これを勉強する暇がなくなった。だから今は一方的に書いているだけである。アクセス数は30−50くらいなのか?多少はふえたかもしれない、今のところ自分のホ−ムペ−ジは更新がなかなかしにくい、病人をかかえての作業になるからいろいろなことができなくなってしまったのだ。最も困ったことが一日も留守にできない、その方法がないことなのだ。30年間自由にいつでもでかけることができたのに一日も留守にできなくなってしまったのだ。これは自分にとってはあまりにもショックだった。こんな生活は考えられなかったしまるで刑務所に入ったように出れないのである。代わりにめんどう見る人がいないからである。公共の施設に頼むにしてもめんどうすぎるからだめなのだ。ともかく最近はまた落ち着いておだやかにてっているからいい、プログは書きやすいのでここは継続して更新している。
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