2011年12月01日

TPPを世界史的視野で考える (アメリカの南北戦争も貿易の自由化の争いのため)


TPPを世界史的視野で考える

(アメリカの南北戦争も貿易の自由化の争いのため)

●備蓄した食糧がエジプトで王権を強大化した
 (遊牧民と農耕民の対立)


ヨセフは七年間の飢饉を予言した。王はそれに先立つ豊作の七年間の間、収穫の五分の一を
集め備蓄用にした。旱魃がひどくなったとき、エジプトの人々にに穀物を売る立場になり
彼らの集めた金銀と引き換えた。貴金属がなくなると彼らは小麦や大麦と引き換えに王に
牛や羊の群れを売らねばならなかった。ついに旱魃の終わり頃、穀物を買うために王に土地の一部をうることにした。それ以降、王とその継承者は彼らの臣民から借地料をとることができた。
こうして王家の政治力と経済力は大いに増した。(遙かなる楽園-環境破壊と文明)


王の権力が増大したのはやはり経済力がある。その経済力が増したのはここは旱魃の緊急時の備蓄された穀物だった。
もともとヨセフは羊を飼う遊牧民だったけど食糧不足でエジプトでイスラエルの一族をひきいてフジプトに寄留したのである。遊牧民はモンゴルでもそうだけど食糧不足にりやすいのだ。それで定期的に農民の中国を襲うからあの万里の長城ができた。農業と遊牧民の対立の歴史は古いのだ。遊牧民国家は衰退するし一大文明を築かない、遊牧民は農耕民に侵略して一体化する。それはインドでもドラビダ族に侵略して混血化してイスラム文化を残した。中国の最初の国家の秦の始皇帝は西安から起こったことは遊牧民が作った国家でもあった。だから兵馬俑のような大騎馬軍隊を編成することができて最初の広大な国家を作ることができたのである。でも結局遊牧民は文明を作りえなかった。モンゴルは大帝国を作ったが中国にのみこまれて一時的なものだったのである。


●文明は農耕民が作った


四大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明であるがみな河の岸に発達した農耕文明だった。インカもマヤも農耕文明だった。遊牧民国家は成立しない、イスラムは遊牧民国家だけど長期的な文明国家とはならなかった。その後もロ-マも農業国家であり定着の農業国家として歴史は発展したのである。農耕文明は2000年からつづいている。エジプトではすでに紀元前から3000年もつづいていたのである。それだけ寿命が長い。その農耕文明から20世紀になり工業文明に移行した。ヨ-ロッパの中世でも江戸時代でも農耕文明である。20世紀の変化は農耕文明から工業文明に離脱した、その変化が余りにも大きすぎたのである。一千万の都市が全く食糧を生産していない、消費するだけだという社会を経験していない、食糧生産にたずさわる人が人口の一割にも満たない社会などありえようがなかった。百万都市の江戸ですら農地にとりかこまれていた農耕社会のただなかにあった都市である。今の都市とは全然違っている。東北辺りから米を商品として買い入れていたにしても回りは農地であり農民と密接に結びついてたのである。これはヨ-ロッパの中世でも城の回りは農地であり農耕社会と密接に結びついたのと同じである。都市があっても小規模だったのである。農耕中心の社会は人類史の中で長いのである。急速な工業文明はまだ百年くらいのものであり人類史からした短い、異常な一時期だったとあとでふりかえられるかもしれないし、それが人類を滅亡させたとかなる。そういう人類史で異常な時期が現代という時代である。


●農業と工業の対立が今世紀鮮明になった


今や一つの国家の歴史ではない、人類史というグロ-バルな観点からの考察があらゆるところで強いられている。当然これだけグロ-バル化すれば庶民のレベルでもそうなっている。貧乏な若者でも世界一周など簡単にできる時代である。そういう点では恵まれた時代なのである。TPPを考える時もそうである。世界史的人類史的視点が必要になってくる。面白かったのはアメリカの歴史だった。
南部と北部の戦争の原因が北部の工業化した都市と南部の広大な土地に黒人奴隷を使用した綿花栽培の農業地帯との争いだったのである。南部ではイギリスに綿花を輸出したい、農業中心の社会だった。その頃イギリスに産業革命が起こり綿花を大量に必要とした。一方北部でも工業化ししていたので工業化した社会で働く労働者を必要としていた。西部を開拓するにも労働者が必要でありそれを南部の黒人奴隷を必要としたのである。アメリカはイギリスから独立したいということもあり工業化する北部中心の社会を形成したのである。ここで農業と工業の対立があった。逆に今はアメリカは工業化として発展しても農業国家となったという皮肉もある。売るものが工業製品ではなく食糧だとなってしまった。その広大な土地から生産した食糧を日本に関税なしで売りたいがためにTPPを促進させようとしている。

日本の戦前の主な産業が絹織物だったのとにている。絹の生産は農業であり地方で盛んだった。つまり南部と同じだったのである。

他の方も言われている通り、自由貿易vs保護貿易の対立が主な争点と考えるのが一番自然だと思います。
農業国or工業国の選択と言ってもいいと思います。


競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1210005.html



不思議にアメリカはこの時、保護主義が北部の工業化した地域であり自由貿易主義が南部の農業、綿花栽培のプランテ-ションの地主だった。これを日本に当てはめるとTPP賛成派は自動車などを売っている工業化している製造業であり食糧を生産している農民ではない、農業は保護主義なのである。ただアメリカの南部は食糧ではなく綿花栽培なのだから食糧を生産していたわけではない、これも工業製品のための材料を輸出してしいたとなる。アメリカでは今車を生産している会社などはTPPに反対である。保護主義なのである。これは南北戦争時代と同じである。一見関税と貿易が国と国の対立のように見えて実は人類史的には遊牧民と農耕民の対立と同じ様にその生活形態から問題が発している。農業と急速な工業化の対立が根底にあるのだ。ただ言えることはエジプトのヨセフの例のように
食糧を備蓄して王権が強大化したようにアメリカでもオ-ストラリアでも広大な土地があり食糧備蓄していれば何かの災害や飢饉などで日本などが食糧不足になればエジプトと同じ様になる。


現実にこの辺で食糧や物資が全く入らなくなった時があった。放射能をおそれ物が運ばれない。その時救ったのが町で貯えていて古米だったのである。これを頼りに一週間とか過ごした。食糧がもう金でも買えないというのが緊急事態なのである。結局国内でも自分の命を危険にさらしてまで助けようとする人はいないのである。だから江戸時代に郷倉というのを建てて米を貯えていた。最低米があると人間は生き延びられる。米だけでもある程度は生き延びられるのである。そういう危機のために備えるためにも農業はある。そのことがあるから農家に援助もしている。もし関税がなくなると日本の農業は壊滅的な打撃をうけるというときそういう不安があるからだ。もちろん農業には様々な問題がある。だからといってTPPで解決するのだというのでは解決にはならない。アメリカは売るものがない、食料品を売りたいためにTPPをしかけた。それはアヘン戦争とにている。中国に売るものがない、だからアヘンを強制的に軍事力で売った。そういうことをしたのがヨ-ロッパの列強でもあったのだ。


あとがき

本でもインタ-ネットでも自分なりに編集すると活きたものとなることがわかった。本をもっていてもその知識を活用しない
と活きてこない、膨大な本をためこんでも宝の持ち腐れになる。本もテ-マをもち編集すると活きた知識になることはまちがいない。
編集という作業は明らかに創造的なものでありコピ-ではない、編集者が創造的なことをしているのであり電子書籍になろうが
何になろうがこうした創造的仕事は人間しかできないから仕事がなくなるということはないのである。
とにかく自分は相当に本を集めた、だけと活用していなかった。何らか知的作業には本を集めることが必要なのである。
posted by 老鶯 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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