2007年08月20日

高校野球も社会の縮図としての問題 (高校野球は文化である)


高校野球も社会の縮図としての問題
(高校野球は文化である)


●高校野球に求めるもの
 
高校野球は歴史が古い、広陵高校や今治西とか昔よく出ていたような気がするがベスト8に出たのは30、40年ぶりだった。これも意外だった。高校野球に見ている方で望むのは地元が勝つこと強いことなのだがこれも矛盾してくる。地方では地元だけでは強くなりえない、それで青森山田のような野球留学の学校ができて地元から批判されるがこれも矛盾している。青森が強くなるには強い選手を集めねばならない、高校野球は教育の一環だから文部省ではこれを批判している。高校野球も国内問題だがグロ−バル化の問題ともにている。グロ−バル化では優秀な人材を世界から集めて競争に勝たねばならない、一方で地域が日本が強くならねばならない、こうした矛盾につきあたっている。アメリカがスポ−スでも科学技術でも強いのは世界中から人材を集めるからである。地域だけに国だけにこだわっていたらグロ−バル化の競争に勝てない、敗者となるのは致命的だからグロ−バル化の競争に勝つためには手段を選ばないともなる。高校野球も勝つことを優先すれば地域の代表というより他県から優秀な人を集めて勝つのも批判はできないのだ。ただ教育的観点からは許されないものとなる。これは何も高校野球だけの問題ではない、オリンピックだって勝つことが優先され本来のアマチュアリズムのスポ−ツで友好平和のためだということがないがしろにされることが問題となるのと共通している。
 
●高校野球は地域の代表という根強さ
 
高校野球というとどうしても地域の代表ということで地域主義が濃厚にある。でも実際は東京だと東京の代表というよりある特定の常連の高校がクロ−ズアップされるのであり東京では東京の代表ともいいがたい、横浜だと横浜の代表−浜っ子とかという感じにはなるから東京でも地域性はある。もう一つ高校野球は宗教団体の学校は非常に多い、それは地域の代表より宗教団体の代表でありその団体のものが応援するから地域の代表といいがたい、つまり高校野球にも現代の社会の縮図としての問題が露呈されてくる。地域主義−宗教団体−グロ−バル化・・・・これはまさに現代の問題である。高校野球に宗教団体の高校が幅をきかすのは不公平だともなる。それは地域の代表ではないからだ。そして宗教団体は人材を団体を通じて集められるし宣伝にもなるから力を入れることになり資金力もあるから強くなるから不公平だとなる。高校野球は地域の代表という側面からみると今や半分は地域の代表ではない、地域の代表だけでは勝てない仕組みになってしまったからだ。そもそもどこの宗教団体であれ応援したくない人はかなりいる。創価でも天理でもPL・・・・でも私は嫌になる。そうした宗教団体の代表が高校野球にでていること自体が嫌なのである。それは高校野球が純粋な地域の代表ということから見ているためである。政治でも今回小泉のグロ−バル化に対応する政策で地方の反発をくらって参議院選挙で負けたこととも通じているのだ。創価とか政治団体と組んでいることにも反発されたりと高校野球の問題とも通じていたのである。
 
●高校野球も文化である
 
高校野球がどうあるべきかという問題も私には提案できない、これはオリンピックがどうあるべきかとも同じ問
題を共有している。哲学的にはスポ−ツはどうあるべきか?スポ−ツとは何かという根本的な哲学の問題になる。勝つことがすべてではないといっても勝つことに重点が置かれのもスポ−ツの勝負の世界である。でも高校野球も実力の差がかなりありト−ナメント制では不公平である。広陵高校は駒大苫小牧と6−5と一回戦で辛くも勝ったがそのあとは楽勝であり実力の差が歴然としていた。高校野球に強さを求めれば一回限りのト−ナメント制も不公平なことになる。いづれにしろ高校野球の歴史は長いから日本の文化ともなっている。その根底に地域の代表が公平に争うということがありそれが崩れてきたことにある。高校野球も時代とともに社会の影響を受けざるをえない、高校野球は全国的な地域の代表として争うことに興味がある。だからある時、福島県でも島根県でも野球留学生のいない県が活躍するのが望ましい、いつも同じ宗教団体のチ−ムとか大都会のチ−ムが勝つのはつまらない、すでに高校野球もプロ化していてまた同じ高校かとなり嫌になる。でも野球の強さ追求することは悪いことではないから矛盾しているのだ。ともかく高校野球は日本の文化になっている。相撲も文化であるから単なる強さを追求するだけではないとなるから朝昇龍の問題も起きてきたのである。スポ−ツも文化になると勝つだけではない、強さだけではないものが求められる。文化となるとその背景が複雑になってくるのだ。鉄道も百年の歴史を経て文化になったように高校野球も百年近くの歴史があるのだから文化として考がえる必要がある問題なのである。

 

代理店とテレビ局のスポーツ商法が行くところまで行った結果だな
札びらでスポーツ関係者のほっぺたをはりまくり
有力スポーツ団体はどこも金の亡者が幹部を占めるようになり
監督も相撲部屋の親方のようにいい選手を持ったら一生食える

だれも運営なんかやるより札の勘定をやりたがる


東京オリンピックのころの理念なんてどこにもない
TBSというテレビ局のためのスポーツ興行団ご一行様なんだよ
でも興行主とその金主が金儲けばかり考えて実行は下請けに丸投げ
経費削減でボランティアをかき集めるだけかき集めて興行失敗


人間が走る機械 投げる機械 飛ぶ機械にされる
 ド−ピングの問題も当然起こるんだよ
人間が特殊な機械、超筋肉人間にされるんだから
これもみんな金のためにやっているんだよ 

興行としてもつまんねえな、がら空きでもうからないというのもわかるよ
別なことに使った方がいいよ、スポ−ツもグロ−バル化だけどこれもみんないいわけじゃなかったな

 
 
posted by 老鶯 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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