2006年03月29日

春の雷(老人の脳の活性化を)

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老の身に刺激与えむ春の雷

春の雷眠れる記憶目覚めなむ


今日は気候の変化が激しかった。最初は晴れていたがみぞれになり次に春の雷の嵐になった。認知症というのは奇妙な病気である。瞬間的な記憶が喪失するということはどういうことなのなか?「毎日風呂にするか」というのは昨日風呂に入ったことを忘れているから言うのだ。だからカレンダ−に風呂に入った日の印しをつけておく必要がある。この記憶できないということで薬を飲んでのを忘れて薬を飲みつづけて病気を悪化させたということが事実としてあったのだ。瞬間的にでも自分のしたことをまるっきり忘れる、記録できないのである。

しかし過去の記憶は鮮明に残っているところがあり昔の話は延々としているのだ。保健婦をしていたから農家などを回っていろいろ食べ物や野菜などをもらった話やコジハンのことを話していた。コジハンとは農家の人が野良で働き午後に休んで食事をとることであった。必ずそういう人が畑や田んぼにいたのである。働く人の姿がそこにあったのだ。今は機械だけが大きく目につき人の働く姿が見えないのである。コジハンという言葉には当時の生活の雰囲気がにじみでている。これも死語となってしまった。

今の記憶がなくなっても老人は過去の記憶に生きる。過去の記憶も人間に欠かせないものである。歴史は過去の記憶であり常に現代を知るには過去にさかのぼらねばならない、現代を知るには過去をしらねばならないし未来も過去から生まれてくる。現在だけに人は生きていない、動物には現在しかないが人間は遠大な過去から現在に未来に生きるものである。そこに人間の存在意義があるのだ。過去は発掘されず眠っている。それが現在によみがえる時がある。過去はまた現在の人がよみがえらせるのだ。新しい発見は未来より過去にあるのだ。

認知症の人と接してこれはバカになったのだからなんのようもない廃人だとはならない、いろいろな経験をしているしそれぞれの一生を持っている人間である。それぞれの話を聞いていればその人の過去がよみがえり学ぶことがある。生きた歴史を学ぶことができる。自分の場合は人と接するのが苦手だが認知症の人は病気なのだから病気の治療として回想法があり聞きやすいということもある。過去のことを遠慮なく語ってくれることもあるからだ。その話は実際の経験した生活と密接に結びついている。だからリアリティがある話なのである。人間は道具を作る動物だとかいろいろあるが言葉を持つ、語るということも人間を人間たらしめているのだ。今機械化してコミニケ−ションが希薄になった時代、語るということを復活せねばならない時代なのかもしれない、この語りのなかに老人も生きてくる。老人になれば何かしら必ず経験しているから語り伝えるものがあるのだ。それはどんな人にもある。とるにたらない掃除婦として過ごした人にもあるのだ。長い人生の中でそういうものにも意味があるし語るものはあるのだ。だから老人の語ることを若い者は嫌がらないで良く聞くべきだし同じことを際限なく言うのでいやになるということもあるがやはり聞いてやる必要がある。そのなかに何かしら得るものがあるのだ。

ともかく人間はたえず変化し向上心で生きねばならない、それが宿命であり停滞は許されない、老化してゆくなかでもさらなる飛躍をこころみる。病気になっても病気を生きねばならない、病気や年取りたくないといってもそうなるのだからそこになんらか積極的意味を見いだすのが人間である。絶望の中にも一すじの希望を見いだしてゆくのも人間なのである。
この記事へのコメント
>自分の場合は人と接するのが苦手だが

そうだったんですね。話題が豊富なのでそうは思えませんでした。
回想法で嬉しかった事は、要介護5の発語も出来ない人が子供の頃のあだ名を呼ぶと、目を見開いて嬉しそうな顔をし表情で表現してくれるようになった事です。意思の疎通が図れない人には、こちらからの一方的な発信(回想法)となりますが諦めないで真心で接していれば以心伝心の喜びがあります。

>ともかく人間はたえず変化し向上心で生きねばならない、それが宿命であり停滞は許されない

>絶望の中にも一すじの希望を見いだしてゆくのも人間なのである

これは、経験者にしか語れない説得力のある言葉ですね。私も、これ以上、疲れるような集団に振りまわされずに停滞は出来ない、一筋の光が差し込む場所を見つける為に向上心をもつ姿勢は、とても大切だと思います。向上心を持っていれば視野が広がり、自分の中の可能性を積極的に見つけられますから。私は追いかけられるのは嫌いで追いかけるタイプなのです。癒される場所も、向上心を持てる場所も、為になる場所も…。その方が自分が生き生きしています。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年04月27日 17:39

文章を書くこと雄弁ですが話すことは不得意です。
文章ばかりから判断すると想像すると違った人物像になるでしょう。
インタ-ネットの出会いの問題がそこにあった。
文は人なりというとき確かに文だけからもある程度その人なりのことは判断できるでしょう。
玉本様は積極的性格であることがわかりますから・・・
Posted by プログ主(小林) at 2010年04月27日 22:13
積極的になる対象は選択しますよ。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年04月27日 22:49
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