ABCDと情報が海馬に入っても記録できないから整理、分類もできない、前頭野に働くことができない、そこでいらいらして扁桃−感情領域にすぐに反応して怒りやすくなり極端になると暴力になるのだ
潮満ちて光る河口や芽吹きかな
潮満ちて波のひびくや沖に船松健やかに春山望む
認知症になるとなぜ簡単な整理や分類ができなくなるのか?薬の整理や書類の整理や金の整理が全くできなくなる。そしてなぜいろんなところに分散して隠してかえってわからなくなるのか?まず自分で整理したものをすぐに忘れる、記録できないから整理できないのである。今引き出しから出した下着でもなんでもちょっとそのままにして部屋を出ると引き出しから出した下着やいろんなものが外にでている。それは自分が出したものなのだがその記憶がないから誰が出したちらかしたとなり大騒ぎになる。認知症の中核症状はここから始まっているのだ。ここがベ−スでありここから様々な問題行動へと波及する。自分がしたことをまるっきり忘れるしその自覚もまるっきりないから自分で引き出しやタンスから出したものは誰なのだ、こんなことをするのは誰なのだといらだち怒り身近な人がやったとなりものすごく怒る、いたずらするなとか盗るなとかこれが相手によりものすごい暴力になるのだ。それで家にもいられなくなった嫁とかがいる。
認知症の問題はここからすべて波及してくる。自分がしても忘れても自分がした忘れたという自覚が全くない、とすると誰かがしたのでありそれは妄想化して誰かが家に入ってきて盗っていったとか大騒ぎする。今日も薬がなくなったと泣いて騒いでいたし昨日はクリ−ムがなくなった盗られたと親戚まで電話して騒いでいた。犯人は誰だ?と恐ろしい剣幕で問い詰めるがその犯人は自分なのだが記憶する部分、海馬の細胞の破壊のために情報が記憶されないので瞬時にわすれるために整理とか分類ができなくなる。自分でわすれているのに自分が犯人なのに恐ろしい剣幕で他者を犯人にして追求し怒るのだ。その怒りが異常だから手に負いなくなるのだ。本人の側にたってみれば海馬であれ記憶することができないのだからそこが破壊されたことがそうさせているのだ。だから犯人は当人でもあるが記憶する機能が破壊されたことにありそこがガンと同じように回復しない限りこの症状は改善させることができない。
この脳のメカニズムはまず海馬が破壊されたため記憶できない→前頭野で整理、分類できない→扁桃(感情領域)への怒りとなる
最初の妄想化して夜中に暴れた行動も今ふりかえるとこのメカニズムであり理屈的に全く訳のわからず暴れたのとは違っていた。最初何がなんだかわからずショックを受けたから狂気としか思えなかった。では最初の妄想化して暴れたのが極端な異常かと思ったら今もそれは継続しているから今でもそうなりうるからこれは認知症特有の行動であり訳のわからないものではなく理屈的にもわかるものだったのである。根本的には記録する海馬の回復がないかぎりこれは直せないのである。そこからすべてが狂ってしまったからだ。
ともかく認知症をかかえた家族は苦しんでいるからなんとかいい方法がないか探している。「認知症 直る」とかでアクセス解析で見たらあったからこの人もなんらか直らないまでも回復する方法を探しているのだろう。他にもなんとかいい方法がないかみんな探している。自分も探している。でも基本的に今を記憶することができないことが致命的でありここを改善する方法がない限り直る方法はない、記憶する海馬なりそこのところがなんらかの方法で取り戻さない限り直るとか回復することがむずかしいのだ。
「潮満ちて光る河口や芽吹きかな」これは光る河口のところを波のひびくやとかしたが直して光る河口とした。実際に俳句にした場は河口だから河口という写生の場を明確にする必要があった。写生としては河口が良かったのである。その場を忠実に写生することが作る俳句よりいい俳句になることは確かなのである。